カテゴリ:美術あれこれ( 47 )

デザインは重要

 久し振りに胸が躍るデザインに出会った。

 それはある古本市のポスターだった(その古本市自体は業界ではメジャーかもしれないけど、世間一般ではあまり知られてはいない…と思う)。

 平面のデザインを見て、おお、いいなと思えるものなんてそうそうないから、デザイナーさんの気合いが入りまくっていたんだろうと思う。ていうか楽しんで作ってる感じ(もちろん生みの苦しみあっての楽しさってことです)。

 グラフィックで、力があるものはほんと凄い。ポスターがたとえばその展覧会とか催事とか商品とかを宣伝するものであっても、もうその役目を凌駕して作品になってしまうところまで行っちゃうのがいいのかどうなのかは置いといて、作品としてグサーっと来るなんてすごいじゃないかって思う。

 告知ってことだけならタイトルと場所と時間がわかれば伝わるし、でもそうじゃないんだよね・・・。かっこいいとかおしゃれとかほっこり系とか丁寧な暮らし系とか、最近わかりやすいものが多いなかで、挑戦するデザインってかっこいいなーと。類型的でなく、しかも今の流行にもおもねることもなくて、要は我が道を行く的信念のデザインというか。それっぽいとかもういいよって思ってしまう今日この頃、なにか気づかせてくれるデザインだった。ま、そういうわけでそんなセンスを持ちたいとズシーンと思ったわけでした。

 今日の国分寺は晴れ。明日は終日出ていますが、お店は通常通り副店長が開けています。ブログは明日はお休みします。
 
 今日の気になる一冊は、「天使の涙」ウォン・カ―ウァイ監督。本じゃなくてビデオ。いまどきビデオなんてどうするの?ってところですがw。観れないまでもケースのジャケを見ているだけでうれしい・・・そんな気分。一時期、ウォン・カ―ウァイにはどっぷりはまってました。どこかの映画館でかかったら観に行こうかな・・・。

 今日流れているのは、ブライアン・イーノです。
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by yoshizo1961 | 2018-10-31 13:48 | 美術あれこれ | Comments(0)

エンドロールが終わるまで

 昨日のブログで先日観た映画について書きましたが、もうすぐ別件で映画に関することについてお知らせしたいことあり!まだその時期でないのでナイショですが、あと一週間かそこらでお知らせできると思います。何の話かって?いえいえ、お楽しみに!

 それにしてもたまに映画を観に行くと、心が豊かになる気がします。学生の頃はよく名画座に観に行ってました。当時は「ぴあ」の映画欄をくまなくチェックして、遠くても横浜くらいならすっ飛んで行って観ていたものです。

 なにしろビデオもまだ普及していない頃ですから、ロードショーもの以外の観たい映画は名画座でかかるのを待ってそこで観るしかなかったわけで。だから、当時はみんなそうですけど、ビデオが普及し始めてレンタルビデオ屋さんが乱立する頃になってやっとビデオデッキを買ってひたすら観ていない名画を観まくったわけです。

 今は見ようと思えばすぐ観られる環境ですから、あわてることはないけど、当時はそこで見逃すと今度はどこでかかるかなんてわからないのでけっこう必死だった気がします。ま、名画座は料金も安かったし、たいてい2本立てとか3本立てだったので、週に一日はどこかへ観に行ってました。

 いまはロードショーばかりのシネコンばっかりなので、ハリウッドものが好きな方はいいんですが、もっとマイノリティーな、ていうか、お金がかかってなくても撮りたいものを撮ってる映画をかけてくれる映画館がもっとあればなーと思います。

 その点では先日のユジク阿佐ヶ谷みたいな映画館は最高です。観たいなーという映画をかけてくれるし、何が一番いいかというと、観に来るお客さんたちの気持ちが同じというか、映画愛を感じるので、たとえば映画が終わりエンドロールが流れても誰も席を立たないし、おしゃべりしたりしないし、明かりがつくまで映画を楽しもうという共有意識があるので。大きな映画館だと、終わった途端にわさわさして座席を立ったりワーワーするのがちょっと・・・。

 映画をもっと観たい。というわけで、映画について連チャンの投稿になりました。

 今日の国分寺は曇り。

 今日の気になる一冊は、「甘い恋のジャム」水森亜土。亜土ちゃんの絵は僕らの世代には鉄板な絵です。ガラスの向こうから歌を歌いながらさくさく描いてるあの映像が思い出されますな。今でも十分通じるイラストだし、亜土ちゃん的かわいさはずーっと支持されるんだと思います。

 今日流れているのは、リュートです。
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by yoshizo1961 | 2018-10-11 13:55 | 美術あれこれ | Comments(0)

「藍色夏恋」で癒される

 昨日の定休日は、午前中に健康診断に行き、午後に家の掃除や服の整理などしていたらあっという間に夕方に。 このままお休みの日が終わってしまうのはやるせないので、副店長と一緒にユジク阿佐ヶ谷に映画を見に行くことにした。

 ユジクでは今月、恋するアジアという特集を組んでいて、夜の最後の回に台湾映画の「藍色夏恋」をかけていたので、その映画を観に。阿佐ヶ谷は呑み屋さんも多く、遊びに行くにはもってこいの場所。まずはコンコ堂さんに寄って・・・と店の前まで行くと、今日は定休日。ま、古本屋は火曜休みが多いので仕方がない(自分とこも)。まずは映画の整理券をゲットして、上映時間まではゆっくり阿佐ヶ谷散歩。路地などめぐったあと、、蕎麦屋さんで純米1合呑んでそばで腹ごしらえ。

 まっ赤な顔でユジクへ。もうこのくらいのスケール感の映画館って最高ですな。小ぶりでもきつきつというわけでもなく、ほんと街の小映画館って感じがたまらない。なんで国分寺にないのか?と。国分寺にあればしょっちゅう夜の部なら観に行けるというもの。

 座席も中段に座れて、はじまりはじまり。ああ、こうした時間こそ欲していたんだよ、って思いながら映画に没入。「藍色夏恋」は2003年の映画なので時代感が感じられはしても、青春の瑞々しさはいつの時代になっても変わることがないので、もうどっぷりはまって見ることができたと。

 ま、もちろん10代の後半にこれを観れば、もうハートのど真ん中が疼いて仕方ないとは思うけど、おじさんおばさんになってしまったからには、実際にはどっぷりというよりほのぼのとした思いで観ていた・・・って感じの方が強かったですが。

 それでも今日になっても主人公のモンやチャン・シーハオの顔が浮かんできて、やっぱいい映画だったなーと。はー、それにしても映画っていいですね(笑)。

 こういう時間を積極的にとって、疲れただのなんだのといって出不精にならず、リフレッシュしたいもんですな。気持ちを明るくしてくれますから。

 今日の国分寺は晴れ。

 今日の気になる一冊は、「別冊太陽 美しく生きる 中原淳一 その美学と仕事」平凡社。まどそら堂人気アイテムの中原淳一。この人の絵はなんともおしゃれでその時代感とも相まって、惹きつけられる何かがあふれていますな。印刷でない本物が見てみたいです。

 今日流れているのは、サキソフォンの曲です。
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by yoshizo1961 | 2018-10-10 15:03 | 美術あれこれ | Comments(0)

熱情の残滓

 夏が終わる。

 以前から夏の終りについて書いてばかりいるけど、なんかこの齢になると、夏の終りって感傷的になるわけですな。そりゃまだ暑いけど、気持ち的にはもう秋。

 夏ってことで思い出されるのが、高校時代の2年生の頃。夏休みの早朝5時から2時間ほど弁当用の餃子を焼く小さな工場でバイトして、帰ってきてから午前中はひたすら自画像を描いていた。

 当時、描写も色面で構成していくような受験用の絵を学校で描きながら、家ではこてこての写実画を描いていた。かたわらに岸田劉生の画集を置き、鏡の中の自分を見つめつつただそのままに描写する。どうやって絵の具をのせていけばいいのかわからなくなると、岸田劉生の絵をじっと見て参考にする。

 岸田劉生は写実の本質を貫こうとしながらも、その本質すら超えてあちらまで見てしまったようで、例えば麗子像のようにどこかイッテしまっていたけど、そこまで本質が見えてない高校生にとってはたとえば赤まんまの花を持つ麗子の幼い頃の絵とか、岸田劉生の若い頃の自画像の描写がそのまま教科書になっていた。

 頬の向こう側まで描ききろうとするには、頬と空間の境目の色味はこうなんだとか、ここで量感を出すときはこうなんだとか、岸田劉生はほんと先生だった。ランニングシャツ一枚と麦わら帽子、半ズボン。かたわらにラムネのビンと膝をついて座る自分の右手に赤まんまの花。

 ひと月かけて憑りつかれたように描いた夏の記憶。学校に持って行って美術の先生に見せたら、どうしてこんなに先祖返りしてしまったのかと頭を抱えて嘆いていた。絵っていうのは、どうやって描いたっていいじゃないかって思っていたから、学校で色面バリバリの絵を描こうが、家でこてこての写実を描こうがどっちも同じって思いはどこかパラノイア的ではあったけど、自分の中では整合性があってどこも乖離していなかった。

 最終的に受験の頃は描いてきたものがすべてごちゃまぜになってピタッと止まった色面の上に油ギトギトの絵の具で滴らせながらリアルに描写するといったもう世界観ごったまぜ力任せといった絵を描いていた。

 感情の赴くままに絵の具をのせているようで、下地はちゃんと計算済みといった狡猾な絵になっていくのが嫌で、もっと見たままになどと日記には書きながらもテクニックに溺れる。といっても結局は田舎の高校生なので聞きかじりのつまらないテクに終始しているだけ。

 そんな夏だったなーと。生活はめちゃめちゃでも絵のことだけ考えていればまともでいられた。今ではそんな熱情らしきものはどこかに追いやられて、こうして夏の記憶の残滓としてふと甦るのみ。とはいえ、もちろんそこで終わりたくはないと思っているよ。僕らはこれからだから。

 そして今年も夏は終る。

 今日の国分寺は曇り。

 今日の気になる一冊は、「初恋実験中」赤松光夫。秋元文庫。秋元文庫はとうの昔の絶版文庫で、最近は古書価も上がっているアイテム。いわゆる今のライトノベルの元祖みたいなシリーズ。初恋実験中なんてかわいいタイトルは、ちょっとつけづらいと思うんだけど当時はOKだったんだねー。

 今日流れているのは、「NOCTURNAL」。JAKOB LINDBERG。 Luteのアルバムです。
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by yoshizo1961 | 2018-09-07 15:54 | 美術あれこれ | Comments(0)

今日はアーカイブス「センター街で号泣」

 今日は時間がとれず書けませんでした。というわけでアーカイブスです。


 2014年の誕生日に書いたブログです。画像は飛んでしまいました。

 
「センター街で号泣 」


 篠原有司男というアーティストを知っていますか?

 正月休みに、渋谷へ映画を観に出かけた。映画を劇場で観るのは久し振り。観た映画は、「キューティー&ボクサー」。アーティスト篠原有司男と妻・乃り子のニューヨーク生活40年のドキュメンタリー。これを観て、はからずも泣けてしまったのだ。

 篠原有司男を知ったのは学生時代だ。当時、神保町で美術手帖のバックナンバーを買い漁っていた頃(まだその頃は、美術手帖の古い号も二束三文で売られていた)で、60年代の美術手帖では篠原有司男は大スターだった。ネオダダと称し、日本に於ける現代美術の最先端を走っている人であった。その絶頂期に、美術出版社から「前衛への道」という本を出しているが、この本を古本屋で見つけて買った頃から、ギュウちゃん(篠原有司男の愛称)のファンになった。

 ギュウちゃんは既に渡米して、ニューヨークのアートシーンで孤軍奮闘していたが、河原温や荒川修作のようにはいかなかったらしく、評価されずに貧窮に喘いでいたようだ。そのあたりの状況も日本には時折伝わってきて、それでも、いばって作品を作っているギュウちゃんは、自虐風ではあってもかっこよかったのである。アンフォルメルの影響で始めたボクシングペインティングが有名だが、バイク彫刻と呼ばれる、オートバイを模した一連のダンボール製の彫刻には多大な影響を受けた。かならず後世に残る作品だと思う。

 そんなギュウちゃんに(15年程前のことだが)、偶然、遭遇した。銀座のとあるギャラリーの前で。思わず「ギュウちゃん!」と叫んだ。ギュウちゃん、と呼ばれたことに好感を持ってくれたのかはわからないけれども、快くサインをしてくれて、おまけに似顔絵まで描いてくれた。妻の乃り子さんの個展のために帰国していたらしかった。


 見た目は何処にでもいそうなおじさんだったけれど、いまや80歳を越えて、さすがにおじいさんになってきた。そんなギュウちゃんと乃り子さんの映画が、渋谷でかかっていると聞いて、これは行かねばならないと出張ってきたわけである。

 久し振りにきた渋谷は、ほとんど香港のゴーズウェィベイのようで、国分寺のゆるさに慣れた体にはきつく感じてしまう。人に、あたるという感じか。腹ごしらえのために食べた香港風釜飯が思った以上に脂こくって、映画館の席に座った頃には胃がムカムカしてきたが、映画が始まるとそれもすぐに忘れた。

 映画の中の二人に引き込まれた。ギュウちゃんは相変わらずエネルギッシュだが、よる年波には逆らえずどこかよろめく足取りが痛ましく、乃り子さんの言葉もリアルに胸に響く。アートを志した者なら、静かに観てはいられないだろうと思う。3500ドルの金を稼ぐ為に、バイク彫刻をかばんに無理やり詰め込んで日本に行き、なんとか売って現金を乃り子さんに渡すシーンのいじましさはなんとも言えない。ギュウちゃんのショーの一部屋で、乃り子さんが描く二人の成り立ちの絵が、意外にもギュウちゃんの作品を食ってしまうくらい出来が良くて驚いたが、乃り子さんがギュウちゃんに自慢げに語りかけるシーンでは、理由もなく泣けた。身につまされる思いを感じて、どうしても泣けてしまったのだった。

 映画の余韻を感じながら駅まで歩く。どこか現実感のない渋谷のセンター街の途中で、無性にこみ上げてきて、立ち止まって嗚咽した。本道を逸れずに生きていれば、多少の生きにくさなど、どれほどのことも無い。そういうことなのだろう。

 ちなみに古本屋で買った「前衛への道」は学生時代、同級生に貸したまま返って来ない。もう借りたことすら忘れているのだろう。絶対読んでないと思うが、万が一これを読んだら速攻で返して、H君!

 今日の国分寺は晴れのち雨。今日は太宰好きのお客様と、SF好きのお客様と本の話がいっぱい出来て楽しかったです。明日は定休日です。また金曜日に。

 本日のBGMはずっとピアフでした。

 ではではまた明日!
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by yoshizo1961 | 2018-05-12 19:44 | 美術あれこれ | Comments(0)

絵を描きたい

 フェイスブックをたらたら見てたら、、モディリアニが描いたヌードの画像が出てきて、モディリアニは好きでも何でもないんだけど、ちゃんとよく見るとうまいなーと。絵の具のこなれ方がハンパじゃなくて、しかも輪郭線が線でなくて(線なんだけどね)ちゃんと色面というかパーツになってる。ちゃんと見えてる人なんだなーと。しかもこのこなれ方は目ん玉かっぽじって見ながらキャンバスの上で絵の具を混ぜ混ぜしながら描かないとできないタイプなんで、やっぱ眼力も腕のスキルも相当な強者だったんだろうなーと。

 他にも例えばセザンヌの場合は、絵はへたくそだけど絵の具はこなれまくってる。キャンバスにピタッと乗っかっているのですごい。色面の集積でぺたぺた描いて乗せるように描いていてもちゃんと画面が馴染んでる。こういった絵の具がこなれている人はひたすら描きまくっていた人で、そうでないとこうはならない。もちろんそうした画家さんはたくさんいるけどね・・・。

 あー、でっかい絵を描きたいなー。腕のストロークで、がしがし描けるくらいのでっかい絵を。ちまちま描くのもいいんだけどね・・・。しかししかし。あー、いやいや。描くときは描ける。そうですな。今日はごめんなさい、なんてことない話でした。

 今日の国分寺は雨。降ったりやんだり。

 今日流れているのは、キース・ジャレットです。
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by yoshizo1961 | 2017-11-30 14:09 | 美術あれこれ | Comments(0)

夕日を追いかけて

 高校3年生の冬。冬っていっても11月くらいか、いや、今ぐらいか?そうだね、今ぐらいだと思う。じゃあ秋かな。
 
 学校が終わると部活(美術部)には出ず、速攻で海まで行って、海に沈む夕日をスケッチするという、17,8歳ならではのセンチメンタリック衝動ともいうべきか、そんなことをしていた。

 そう、たった数回だったけど・・・。いつもは部活で時間ギリギリまで学校にいるって感じだった。Iくんという同級生と二人でとにかくチャリをこぎまくり、必死こいて海まで走る。この季節はすぐ夕日が沈むので、学校終わってすぐ行かないと間に合わないのだった。

 学校から海まで自転車で行くなんて馬鹿げていると思えるくらい相当な距離があり、今だったら絶対行かないけど、当時は夕日が海に沈むシーンを見たくてしょうがなかった。何故なんだろうね。天竜川沿いの道を汗をかきつつ、手はかじかむという熱いのか寒いのかよくわからないままひたすら走る。海に到着すると、川の入り江から海岸沿いにめぐらされた防波堤に這い上がり、半身を海側に投げ出し遠州灘に沈む夕日をみつめる。辺りはオレンジ色に染まって、水平線の上をたなびく雲だけが青みがかったグレーに。

 呆けたように夕日を見つめたら、おもむろにスケッチブックを開き、パステルで速攻描き。パステルと、ゆびと、手のひらでグワーっと。あっという間に沈んでしまうから夢中になって描く。とはいえ対象はだだっ広い海と空、半分沈んだ太陽とたなびく雲があるだけ。いくら描いても何枚描いてもほぼおんなじ絵になってしまうのだった。

 永遠にゆらぐ波間と、夕日の赤が同調して混じり合うその色合いは、時間を飛び越えた何かを感じさせてくれて、たとえば無いとか在るとかそんなことまで考えてしまいたくなるようなそんな時間だった。17年しか生きていないのにずーっと存在していたような気になって、いまここに在るすべてはこのオレンジ色というか濃いバーミリオンの世界の中で生まれたんだという、何だか突拍子もないそんな気持ちになったのだった・・・だって若かったからね。

 東村アキコの「かくかくしかじか」を読んだことと、今の時期だったなーということで、そんなことを思い出したんだけども、今の自分にはその描きたい衝動がまだあるのかないのか?どっちかな。

 今日の国分寺は雨。どしゃぶり・・・

 今日流れているのは、リー・オスカー→ブラックサバス→ポール・ウェラー・・・です。
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by yoshizo1961 | 2017-10-19 15:44 | 美術あれこれ | Comments(0)

絵を描いていますか

 ある日の閉店時間を回った時間帯、そろそろ片づけようかと思いつつも、うだうだしていた夜。

 ちょっとけだるそうな感じで女の子が入ってきた。いや、女の子っていっても二十歳前後な。大きなビニール製の袋や何やら買い物袋を抱え、なんだかアンニュイな雰囲気を漂わせ。お店の隅に荷物をぞんざいに置いて、棚を見つめる。

 この子が帰ったら片づけよう。そう決めて事務仕事を進めつつ見守る。けっこうしっかり本を見ていた彼女、ヴィンテージ雑誌を1冊買ってくれた。帳場の前で伏し目がちに雑誌を差し出すそのしぐさがどこかめんどくさそうで、機嫌でも悪いのかなと。

 でもよくよく見れば、ていうかどうみても美術系にしか見えず、武蔵美か?と聞いてみると、そうじゃなくて浪人中だという。近所の美術予備校の生徒だと。別に不機嫌なわけでもなく、美術系特有の斜に構えた雰囲気バリバリなだけだった。

 来年受験だね。自信はあるのか?と問えば、そうでもないと。いや、絵のスキルがどうのじゃなくて、自分の表現ができているか自信がないのだと言う。でも美大受験なんてスキルを見るしかないじゃないかって言うと、そんなことじゃなくて自分の絵が描けているかが問題なんだってムキになって言う。頭の中は絵のことでいっぱいだ。自分も美術系だったと言うと、すかさず今も描いているのか?と聞かれグサッとくる。帳場に掛けている絵を見せると、面白いって笑ってくれる。

 彼女は普通に美大系の受験生なんだと思うけど、大学に入ることが目的で勉強しているわけでもなく(もちろんそうでもあるんだけど)、自分が描きたいもの、描きたいという表現欲求や衝動について、毎日朝から晩まで考え続けているんだって顔をしてた。だから何を見ても、誰かと話をしていてもご飯を食べていても、美術のことばかり考えているんだろうなと。

 鼻筋の通ったかわいい子で、同世代の子のようにおしゃれすればアイドル系にも見える感じの子だったが、髪の毛はボサボサ、手のひらは絵の具だらけで、ずた袋を引きずるようにしてうつむき気味で帰って行った。また来いよって言うと、うんって。でも、もう来そうもないかな。そんな気もする。

 うちに帰って東村アキコの「かくかくしかじか」を再読する。あの子とは違うけど、なんだかしんみりした。

 今日の国分寺は晴れ。明日はほろ酔い夜話第十夜があります。

 今日流れているのは、押尾コータロー、クィ―ンです。
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by yoshizo1961 | 2017-10-12 16:18 | 美術あれこれ | Comments(3)

棟方・ヴィンセント・ヴァン・志功

 棟方志功といえば思い出されるのが『わだばゴッホになる』。 以前うちのお店にもあったけど売れてしまった後入って来ない。

 いまうちにあるのは新聞社が発行した(たぶん購読者向けのノベルティ?)『棟方志功の宇宙』という版画集。1枚ものだけど1か月2枚づつで1年分の24枚。もちろん印刷。

 半艶のアート紙にオフセット印刷なので、棟方志功の作品の図像としては認識できるけど、本物のリアリティには程遠い(当たり前です)。せめてマットな紙というか和紙にでも刷ればそれっぽくなると思うけど、逆にそれもまずいのかもしれないか・・・。あくまでもコピーですもんね。

 あの版木に顔をすりつけるようにして掘り進む様は、版画道を極めたアーティストとしてのリアリティそのもので、もしまだ生きていれば会ってみたかった作家なのであった。刷ったあとで裏から彩色した色鮮やかな作品が印象的だが、代表作でもある釈迦十大弟子のような墨一色の作品が好き。わだばゴッホになると言って、本当にゴッホみたいになったんだから作家として本望なんだろうなと。

 棟方志功。版画全般についてはあまり詳しくないけど、棟方は好き。おすすめです。

 今日の国分寺は晴れ。

 今日流れているのも昨日と同じくサキソフォンの曲です。
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by yoshizo1961 | 2017-07-13 15:11 | 美術あれこれ | Comments(0)

静かなるボルタンスキー

 クリスチャン・ボルタンスキーの作品集が入荷しました。

 クリスチャン・ボルタンスキーは、フランスの美術家。ユダヤ系フランス人の父を持つ。そのためにボルタンスキーの作品にはホロコーストを意識させるものが多い。ていうか、人物写真と電球の組み合わせから感じられるあの静謐さからは、「死」を意識せざるを得ない。父親がホロコーストに巻き込まれそうになった世代であるから、ボルタンスキー自身、親を見てそんなトラウマを抱えてしまうことは無理もなく、人物写真の作品以外の影絵や心臓の音にしても、「生」の裏返しの「死」が作品の本質だということはすごく伝わってくる。

 なぜか魅かれる作家。享楽的な作品じゃないからかな。享楽的というのは言葉通りの享楽的という意味。真摯に何かに向かっている感じが作品にありありと浮かんでいるし、歴史的な部分はさておき、人間本来の生死にかかわる問いに共鳴してしまう。歴史的な部分というのは、ホロコーストを体験もしくはリアルに感じられる経験を持っていないという意味(本や映画等で得た知識の中でのホロコーストは知っていても)。

 なんの前知識が無くてボルタンスキーの作品に触れても、作家が見ているであろう世界、または提示しようとしている世界が何となく伝わってくるのは、この作家の美術力が凄いからではないか。日本では地味な印象しかないかもしれないが、特筆されるべき作家だと思う。クリスチャン・ボルタンスキー、おすすめです。

 今日の国分寺は晴れ。

 今日流れているのは、フランク・ポールです。
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by yoshizo1961 | 2017-07-06 14:20 | 美術あれこれ | Comments(0)