熱情の残滓

 夏が終わる。

 以前から夏の終りについて書いてばかりいるけど、なんかこの齢になると、夏の終りって感傷的になるわけですな。そりゃまだ暑いけど、気持ち的にはもう秋。

 夏ってことで思い出されるのが、高校時代の2年生の頃。夏休みの早朝5時から2時間ほど弁当用の餃子を焼く小さな工場でバイトして、帰ってきてから午前中はひたすら自画像を描いていた。

 当時、描写も色面で構成していくような受験用の絵を学校で描きながら、家ではこてこての写実画を描いていた。かたわらに岸田劉生の画集を置き、鏡の中の自分を見つめつつただそのままに描写する。どうやって絵の具をのせていけばいいのかわからなくなると、岸田劉生の絵をじっと見て参考にする。

 岸田劉生は写実の本質を貫こうとしながらも、その本質すら超えてあちらまで見てしまったようで、例えば麗子像のようにどこかイッテしまっていたけど、そこまで本質が見えてない高校生にとってはたとえば赤まんまの花を持つ麗子の幼い頃の絵とか、岸田劉生の若い頃の自画像の描写がそのまま教科書になっていた。

 頬の向こう側まで描ききろうとするには、頬と空間の境目の色味はこうなんだとか、ここで量感を出すときはこうなんだとか、岸田劉生はほんと先生だった。ランニングシャツ一枚と麦わら帽子、半ズボン。かたわらにラムネのビンと膝をついて座る自分の右手に赤まんまの花。

 ひと月かけて憑りつかれたように描いた夏の記憶。学校に持って行って美術の先生に見せたら、どうしてこんなに先祖返りしてしまったのかと頭を抱えて嘆いていた。絵っていうのは、どうやって描いたっていいじゃないかって思っていたから、学校で色面バリバリの絵を描こうが、家でこてこての写実を描こうがどっちも同じって思いはどこかパラノイア的ではあったけど、自分の中では整合性があってどこも乖離していなかった。

 最終的に受験の頃は描いてきたものがすべてごちゃまぜになってピタッと止まった色面の上に油ギトギトの絵の具で滴らせながらリアルに描写するといったもう世界観ごったまぜ力任せといった絵を描いていた。

 感情の赴くままに絵の具をのせているようで、下地はちゃんと計算済みといった狡猾な絵になっていくのが嫌で、もっと見たままになどと日記には書きながらもテクニックに溺れる。といっても結局は田舎の高校生なので聞きかじりのつまらないテクに終始しているだけ。

 そんな夏だったなーと。生活はめちゃめちゃでも絵のことだけ考えていればまともでいられた。今ではそんな熱情らしきものはどこかに追いやられて、こうして夏の記憶の残滓としてふと甦るのみ。とはいえ、もちろんそこで終わりたくはないと思っているよ。僕らはこれからだから。

 そして今年も夏は終る。

 今日の国分寺は曇り。

 今日の気になる一冊は、「初恋実験中」赤松光夫。秋元文庫。秋元文庫はとうの昔の絶版文庫で、最近は古書価も上がっているアイテム。いわゆる今のライトノベルの元祖みたいなシリーズ。初恋実験中なんてかわいいタイトルは、ちょっとつけづらいと思うんだけど当時はOKだったんだねー。

 今日流れているのは、「NOCTURNAL」。JAKOB LINDBERG。 Luteのアルバムです。
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by yoshizo1961 | 2018-09-07 15:54 | 美術あれこれ | Comments(0)
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