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どちらが主体なのか

 先日テレビをつけると、ある番組で「顔ダニ」についてリポートしていたので、ついつい見てしまう。

 どうやら顔には顔ダニという生き物が、それはもう信じられないくらいの数がうにょうにょしているという。いわゆる常在菌という彼らとも違い、それはまさしく生き物で、姿かたちはモスラの幼虫を引っ張って細長くしたような感じなのであった。

 体長は0.02ミリくらいだったけかな?ま、顕微鏡で覗いて見えるくらい。だから顔に目ん玉引っ付けてみても見えないと思うよ。それでも生きもんなんでうにょうにょしてるわけですよ。

 その顔ダニも適正な量というか適正な人数であれば、皮膚の老廃物などを食べてくれるし、いてくれた方がいいみたいなんだけれども、たくさんになり過ぎると皮膚のトラブルを引き起こすらしい。ニキビというか吹き出物とか赤い発疹とか。ま、体調とかで状態も変化するからね。

 そこで気になったのは顔ダニそのものじゃなくて、そういった生き物や常在菌とかウィルスとか顔や体のあちこちにいるわけだよね。生き物か無生物かどっちつかずの何かでなくて、あきらかに生きている、うにょうにょしている彼らは体の表面にうじゃうじゃいるならば、数の論理としては彼らが主体と考えてもいいんじゃないかということ。一個の生命体として見た場合、自分自身が生命の本体であるのか、それとも、うにょうにょ達の宿り木にすぎないのかどっちなんだろうか。

 たとえばだけれども、宇宙人と遭遇したとして、話かけてきた宇宙人さんからしてみれば話しかけようとした相手が僕なのかそれとも顔ダニなのかわからないよね?宇宙人さんははじめて地球に来てそれも予備知識もなくたまたま来てしまっていて、生命に対しての認識はあるけれども、それは個体の大きさは関係なしという、いわば何の憶測もない自然な人だったとしたら、とりあえずは目の前の僕にハローと言ってるみたいに見えても、実は鼻のアタマにいた顔ダニのニョロくんに言ったのかも。

 ま、どっちでもいいんですけどね・・・。宇宙人に遭遇することもそうそうないでしょうから。けれども主体だと疑うことがなかった僕という自分自身は、添えものにすぎなかったのかもしれない、とも思えるわけでどうでしょうかね、その辺は。
 
 今日の国分寺は晴れ。少し曇り。

 今日流れているのはエリック・サティです。
どちらが主体なのか_b0304265_14355058.jpg

by yoshizo1961 | 2016-04-09 14:35 | SF・ミステリ | Comments(0)
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