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對木裕里展ファイナル

 今日は「對木裕里」展最終日。前置きなしで、作品についての考察です(なお、会期中、店主が感じたことを書き連ねたものですから、對木さんが求めているもの、その本質とは齟齬がある場合もあります。あくまでも店主の勝手な感想です)。  

 子どもが海辺の波打ち際で砂の小山を作るのは、波にさらわれながら形を変えていく、砂の塊を見ているのが楽しいからだ。波にさらわれてもびくともしないようにまたさらに砂を積み、大きくなった砂の小山には、立体物としてのリアリティーを感じつつ、さらにトンネルを掘ったりして構造すら体得する。それだけのことで作る喜びを感じることができる。その子どもらの感性と単純に比較しては對木に怒られるかもしれないが、漠としたイメージから取り掛かり、砂を積み上げるような行為を繰り返して、納得のいくかたちを見つけていこうとする對木の彫刻の探し方は、子どもらのそれに似てはいないか。

  對木の作品は手を動かす中で生まれるという。ということは、手で試行錯誤して、ここはこう、あそこはこう、と、こねくり回す過程でかたちが出来上がっていくものなのか。出来上がっていくその過程の中で對木は何を見ているのだろうか。何を感じているのだろうか。かたちの終点を決めるのは對木?それとも作品?

 こういうものを作りたい、こういうものを作ろうという意志が確固としてあっても、こういうものとは何なのかということが作家自身見えていないとしたら。いや、見えてはいる、感じてはいるがそれがどういうかたちをしているのかは、手探りでなければわからないのだとしたら。頭の中なのか、心の中なのか、はたまた腕の血管の中なのかはわからないが、茫漠としたイメージの断片がそこら中に宿っていて、手を動かす中でそれらの断片がひとつに収斂してゆく。そしてかたちが立ち上がる。立ち上がったかたちは、作りたかった「こういうもの」そのものの筈だ。それこそが對木の彫刻なのである。

 今回のまどそら堂での展示作品は、プラ段という堅牢だが重さを持たない素材による作品が主になっているが、それは古本屋の脆弱な壁にもかけられ、また彫刻であっても展示空間が壁しかないという特殊事情に配慮されたものだと思う。もし重力のおもむくままに設置できる場所であれば、また違う表現となっていた筈だ。なんにせよ、對木の彫刻は様々な素材、物と物との関係性、色、重力、時間、手触り感が複雑にときには単純に織りなされたかたちとして在る。

 究極のところ、對木が作ろうとしているのは、かたちを持たないかたち、ではないのか?本来誰でも通常は何かをイメージして、こんなものを作ろうと手を動かすわけだが、對木の場合、取っ掛かりとしてのイメージは多少あっても、手を動かす過程で、変化していくかたちに身を委ねて、イメージそのものが変わっていくことを楽しんでいるのではないか。楽しむというのは、享楽的な意味合いではなくて、ものを作る醍醐味を味わっているというか、新しく立ち上がってくるかたちに喜びを感じているというか。

 地と図、または正と負にあるような相対する関係のように、對木の作ろうとするかたちはその外側にあるのではないか。実際目の前に在るそのかたちは無くて、その形の周りのかたちそのものを見ているのではないか。無いのに在る。在るのに無い。時間を粒子と捉えて、その時間子すら練りこんでしまう量子力学的彫刻。何故かそこまで深読みしてしまう。
 
 現代美術を標榜する古本屋といっても、わずか3坪、まわりは古本に囲まれ、しかも壁も白くなく、アンカーなどもってのほか、ビスですら加減しながら打たないと利かない脆弱な壁に、彫刻を展示するという無謀ともいえる行為であっても、迷わず展示してくれた對木さんには感謝したい。彫刻家と言われなければ、見た目ではわからない一女性であっても、展示の際に電動工具のインパクトを自在に操る姿を見て、ああ、やっぱりこの人は彫刻家なんだなぁと感じたわけだった。屋根はついているが、野外彫刻展をしているのとさほど変わりない古本屋での個展が、對木裕里のこれからの展開に少しでも意味のあるものになってくれればと願う。そして願わくば大作家になってもうちでまたやってもらいたい。

 今日の国分寺は晴れ。また暑くなってきた。そうだ、明日は定休日でお休みです。また金曜日に。

 今日流れているのはマイクオールドフィールド。「チューブラーベルズ」です。
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by yoshizo1961 | 2014-07-30 16:11 | 展覧会情報 | Comments(0)

ぼくらの夏休み

 暑いですな。夏真っ盛り。といっても昨晩はかなり涼しかったから、暑いのか涼しいのかどっちかわからないけれど、とにかく夏休みですよ、子どもらは。まだ始まったばかりだから、夏休みの宿題なんて余裕余裕!(←といってギリギリまで放っておく)

 いまどきの子どもらはクーラーの効いた涼しい部屋でゲームかな?それとも学校か近所の市民プールか。なんにせよ、この炎天下でふらふらしてたら熱中症間違いなしですな。怪しいのもウロウロしてるし、外でお気軽に遊べないよ。

 ぼくらの夏休みは、だいたい神社の境内あたりに集まって、虫取りかザリガニ釣りに。これは全国的にどこでもそんなもんだったんじゃないかな。携帯もスマホも、流行のTシャツもない、ランニングシャツ1枚と短パンズボン。虫取り網1本と野球帽で装備完了。町じゅう(といっても田んぼと畑)を走り回ってるだけ。あそこの林のあの木にはカミキリがいるとか、見たこともない色のアゲハ蝶を追っかけて人の家の庭に入り込んだり。今だったら通報されるかも。
 
 昼飯は一度うちに戻り、午後再び集合。ペットボトルなんてなかったし水筒なんて持ってるめんどくさいやつもいなかったから、のどが渇けばそこらの水道の水をがぶ飲み。たまに小遣いでも持っていたら、駄菓子屋でミリンダのオレンジを飲んだり、かき氷を食べたり。暑いって言ったってまだ温帯モンスーン(懐かしい)で、せいぜい27,8度くらいだったし、30度超えたら超真夏だった。だから今の日本は熱帯で、インドとさほど変わらない。そんなだから気をつけていれば日射病(今だったら熱中症)になることもなく、1日中遊んでいられた。
 
 あの頃その日捕まえた虫やザリガニはどうしていたかな。2、3日は虫かごとかたらいに入れて見ていた気もするけれど。晩飯前の夕陽が懐かしいね。夜は玄関先で花火をやったり、スイカを食べたり。そして蚊に食われながら、江戸川乱歩を読んで寝る。今の子で、同じように、虫取りしたりザリガニを釣ったりしてる子どもらもいるだろうが、昭和とは全く違う世界になってしまった現在。昔を懐かしんでるだけの話は自分で書いていても侘しい気がするが、変わっていくリアルに身体がついていかない侘しさも同時に感じる。あー、ぼくらの夏休み。

 今日の国分寺は晴れ。しばらく晴れが続いていいね。明日は對木(ついき)さんの個展最終日。駆け込み観覧歓迎です!

 今日流れているのはキース・ジャレット。ケルンコンサートです。
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by yoshizo1961 | 2014-07-29 16:04 | ちいさなお客様 | Comments(0)

シティボーイとオリーブ少女

 たまには本の話をまじめにせねば・・・。おお、でも今日もお店の奥、帳場がわりの簡易テーブルから覗き見る外の風景の凄まじさと言ったら・・・。眩しくも焼けたアスファルトの照り返しが凄いことになっている。

 今日はいつになく乾燥しているとはいえ、こんな炎天下に外回りで歩き詰めの営業マン(ウーマン)はどうやって仕事と太陽の両方に折り合いをつけているのだろう。昨日はどやどやとたくさんのお客様が見えられて、退屈しない一日だったが、今日はまだコピー機の営業ウーマンさんが一人来ただけ。この3坪しかない店舗のどこにコピー機なぞ置けるというのか・・・。さほど断りの言葉を弄さずとも、店内を見回して苦笑いのあと納得して帰って行った彼女もまた、この炎天下に曝されて倒れなければよいが。

 このところ美術のことと本のこと(本という概念について)ばっかり考えていたので、お店の本たちに気が回っておらず、みんな、申し訳ない、と店内の本たちに頭を下げる。今度時間ができたら1冊づつ再クリーニングするからね、と言ってみたりしても、誰もいないお店でなんだか空しい・・・。まあ、梅雨明けしてくそ暑いけれど、どんよりとした曇り空の日でないだけましというものか。

 そんなお店に一陣の風が・・・。いやいや、風でなく最近入荷した雑誌の「オリーブ」。90年代のオリーブで18冊ほど。ポパイの姉妹誌として80年代に創刊後、当時の女子に絶大な支持を得ていた雑誌。店主はもちろん読んでいた・・・わけもなく、正直言ったらそんなに詳しくないので、その熱情をお伝えしづらいが、人気絶頂の頃リアルタイムで読んでいた世代にはもはや何の説明も要らない雑誌であった。

 実はお店にはポパイもごっそりあるんだが、1冊も売れてない・・・。雑誌っていうのは、その雑誌を探している人だけにしか作用せず、表紙を見せて面陳で飾らないかぎり、おお、これは!ということにはなりづらい。文庫サイズならともかく雑誌は場所をとるので、面陳で並べづらいしなぁ。

 けれども「オリーブ」はそのオーラで何とかいけるんじゃないだろうか?とちょっとばかり思う。ポパイとオリーブをセットで!とか。ちなみに店主はポパイをもちろん読んでいた・・・わけもなく、というか避けていたのでまったく詳しくない。商売上そんなこと言っていいのだろうかとも思うが、知らんもんは知らんのだから仕方ない。

 シティボーイとオリーブ少女。いまどきのお兄さんと現役の少女たちに読んでもらいたいが、当時のシティボーイと当時のオリーブ少女にも。ファッションはいつも新しいものがいいのは当然だが、昔のオリーブ少女たちは今見てもかっこいい!時代と共に廻るわけですな。ファッションどころではないよというあなた、あなたにこそこの1冊!

 日差しはカンカン照り。ちょっとは本のこと(雑誌だけれど)に触れたので今日はオッケー!と一人で納得。たいして生産的なこともないけれど、この炎天下ではどうにも・・・。あとはお客様がどやどやと押しかけてくるのを待つばかり・・・・・・しかし、やけに静かな夏の日ですな。

 今日の国分寺は晴れ。しつこいけれど、あづい。

 今日流れているのは、クリンぺライ。ポコポコ系です。
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by yoshizo1961 | 2014-07-28 16:00 | 本あれこれ | Comments(0)

国分寺ブックタウンプロジェクトはじまった!

 昨日の土曜日、国分寺市Lホールにて「国分寺ブックタウンプロジェクト」のワークショップ1回目が行われた。外の猛烈な暑さと、その熱気をまとったままの参加者たちが少しづつ集まり始め、ホール内にも静かな活気が溢れはじめる。概ね50名前後の参加者があった。

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 定刻より5分遅れであったが、国分寺市協働コミニュティ課の山本課長の挨拶からスタート。その後本日の講師である花井裕一郎さんのお話が始まった。プロジェクターの映像を絡めて、花井さんたちが立ち上げた長野小布施のまちじゅう図書館の取り組みから始まって、現在国内で展開している本の取り組みについてのお話。2年間で53回ものワークショップを重ね、地域での理解と交流を積み上げて図書館の概念を変えていった経緯が語られる。

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 飲食、おしゃべり、スキップ、ダッシュ、年末年始開館、BGMという、普通、図書館ではしてはいけないとされている事項をすべてOKとし、図書館であっても、美術や太極拳、聞く力をつけるワークショップ等を重ね、本を中心に人をつなげる「広場」を作り上げてゆく。館長自ら受付カウンターの横に座り、トラブルがあれば率先して対処する。さらに、本でつなぐことを図書館という枠すら超えて、まちじゅうに展開してゆく。そうすることによって「コミニュケーション」が生まれる場ができあがってゆく。そしてそれらをつなげていくために「未来を考える」。要するに、町じゅうひっくるめて、ぶっ飛んだ図書館を作り上げたというわけだ。

 ただ貸すだけの図書館ではなく、図書館はこうあるべきだという固定された概念を捨て、発想を転換した「妄想」をもっとするべきだ、という理念をもって、「本」で人と人をつないでいった花井さんのお話は、国分寺でのブックタウン構想にするどい刺激となった感がある(個人的な印象だけど)。その後小布施以外の本の取り組みについてのお話があり、国分寺での話につながっていった。

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 国分寺市とともに、このプロジェクトの推進者である西国図書室の篠原靖弘さんによる国分寺での本の取り組みをしているいくつかの事例の紹介があり、西国図書室での本の取り組みはもとより、公園での絵本イベント、おばあちゃんの知恵袋さん、クルミドコーヒー及びクルミド出版さん、キイニョンさんとともにまどそら堂も紹介していただいた(紹介された画像がお店ではなく、「虎の穴」でのお面コードの日の画像だったので思わず、おいおい・・・と突っ込みを入れてしまったが)。

 
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 休憩をはさんで花井さんと篠原さんのトークで後半が始まる。休憩中に参加者に質問を書いていただき、その中からピックアップされたものを中心にトークは展開。内容については端折ってしまうが、その後テーブルごとに参加者たちで国分寺での本の取り組みについての自由なセッションが始まる。参加者各自の思い・提案を紙に書きつけていくうちに、参加者同士の討議も熱を帯び始める。5分もたたないうちに、各テーブルでは様々な意見が集約され、用意された模造紙に張り付けられ、提案がひとつのかたちとなる。

 
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 各テーブルごとに提案が発表される。当然のごとく様々な提案、思いが表明される。今後の2回目、3回目のワークショップにつながって行くであろう、それらの提案をもとに国分寺のブックタウンプロジェクトが始動するわけだ。次回のワークショップの案内の後、無事ワークショップを終えた。

 以上、大まかな進行状況の報告で、詳細な説明、今後のスケジュール等は、西国図書室のフェイスブックでご確認を。今回、助っ人として手伝わせていただいて、後ろから見ていて思ったことは、参加者の理解力の早さというか、初めて会った人同士でひとつのことをまとめ上げていくその過程に無駄がないというか、そんなところに驚いた。自分だったら、もぞもぞしているだけだろうなぁ、と。ブックタウンについてはまたご報告します。

 今日の国分寺は晴れたり土砂降りだったり。外のワゴンや箱を入れたり出したりで大変でした。對木さんの展覧会に来てくれたお客様も多かった。ありがとう。

 今日流れているのはフランク・ポール。ポコポコミュージックです。

 
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by yoshizo1961 | 2014-07-27 19:23 | ブックタウンプロジェクト | Comments(2)

對木裕里(ついきゆり)「空気 2009-2014」

 對木さんがまどそら堂で個展をする際、古本屋で展示するという特殊事情に積極的に絡むようにと、彫刻作品以外に、自ら編集した「本」を作ってくれた。この「本」は会期中のイベントとしても機能している。自らを表現した「本」を販売することが、パフォーマンスとなっているのだ。

 「空気」2009-2014 2014年7月15日発行 編集/発行 對木裕里 30部限定(150mm×210mm)。2009年から現在までの作品集となっている。作品やアトリエでの制作の一コマを連ねたものだ。彫刻作品そのものであったり、ドローイングや絵画作品、展覧会のために書かれたテキスト、ノートに書かれた言葉、など。

 小冊子という体裁であっても、2009年からの對木裕里の5年間が詰まっている。説明的なキャプションもなく、ただその時間が切り取られて時系列に並べられている。何を考え、何を思い制作していたのか、その一端が垣間見える。前半にアトリエと思しき空間で、左手で何かを掴んでいる写真が4枚並んでいるページがある。けれども、よく見ると左手は実際は何も掴んでいない。いや、作品の空気そのものを掴んでいるのか?無いものと在るものとの境界がぼやけてしまうような、そんな空気みたいなものを掴もうとしているのかな、と勝手に想像してしまう(それでタイトルが空気なのかな?←これも勝手な想像)。

 ドローイングが載っているページで、かたわらに言葉が添えられているものがあった。添えられているというより、自分で確認している言葉を書き留めているのだろう。その中に「どこからどこまでが私のものだろうか?」と書いてあった。そんなところが面白い。というより、その一言で、見ている世界が伝わってくる。

 限定30部で、あと20部弱。作家の内面を深く感じたい方におすすめです!ぜひ手に取ってご覧ください。對木さんの友達が制作したすごろく(「双六東京散歩」何故か吉祥寺編)がおまけについています。

 今日の国分寺は晴れ。真夏ですな。お知らせ:明日は国分寺ブックタウンプロジェクト・ワークショップ出席のため、明日のみブログはお休みします。あ、お店は開いてます!営業時間通り開けてますので、どうぞよろしく!
 
 今日流れているのは蘇慧倫(ターシー・スー)。フェイスブックを通じてまどそら堂に逢いに来てくれる台湾のお客様たちへ。いつもありがとうございます!
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by yoshizo1961 | 2014-07-25 15:29 | 展覧会情報 | Comments(0)

ジャック・アンド・ビーンストーク

 お店のウィンドウにしばらく陳列しっぱなしだった、「じゃっくとまめのき」。小学館の育児絵本で、1971年版。古い絵本だから小さい破れはあるが、おおむねきれい。けっこう陽にさらされていたのに、色の退色もさほど見られない。この当時の印刷インクって耐光性が強かったのだろうか。

 誰もが、小さい頃読んだ記憶があるお話だと思うが、簡単にあらすじをおさらい。貧乏家庭のジャックが、母親に頼まれて牛を売りに行く。しかし途中でその牛を豆と交換してしまう。それを聞いて嘆き悲しんだ母親は、豆を外に放り投げる。翌日、目覚めると豆の木が天までのびていた。えっちらおっちら登り始めたジャックのところに天使が舞い降りてきて、天上にあるお城に住む大男が、ジャックの父親が持っていた3つの宝を隠しているよと教える。お城に忍び込んだジャックは、まず金の卵を産む鶏を取り戻す。次にお金がつまった袋、さいごに竪琴。竪琴を持って豆の木を降りて行く途中で、大男に見つかり追いかけられる。地上に降りて豆の木を斧でぶった切り、大男を突き落として退治。その後裕福に暮らしましたとさ。

 バージョン違いでは、お城に忍び込んで盗んできたとか、牛と交換した豆をくれたのは肉屋のおじさんだったとか、魔法使いだったとかいろいろあるらしい。大男じゃなくて鬼だったり。なんとなく憶えているだけでこんな話だったけ、という感じではあるが。

 豆の木をよじ登って行く辺りにカタルシスを感じたり、金の卵ってどんなんだ?って心ときめかしていたかなぁ。まだ世界が形成されていない子ども時代に、想像力のみで楽しんでいたわけだ。仮想と現実の境界が曖昧な感性で想像する豆の木(ほんとは豆の茎)。

 絵本の場合、ビジュアルがそのまま世界を表現するわけだから、絵そのもののインパクトで受ける印象も変わったりする。この絵本の場合は、当時のオーソドックスな挿絵的表現そのもので、今見れば古臭いかもしれないけれども、なんとも味わいのある絵がいい感じである。名前がクレジットされていないので誰が描いたのかわからないが、当時の有名な挿絵画家さんなのだろう。

 教訓めいたものがあるとは思えないが、あったとしても後付けだろう。こういった寓話はどこの国のものでも似たような構造だけれど、天までのびる豆の木というシチュエーションがかっこいい。

 豆の木のつたに掴まりながらぶらんぶらんして、地上を眺めてみたいもんですな。高所恐怖症だから無理かもしれないけど・・・。

 今日の国分寺は晴れ。暑い!明日は定休日なのでお休みします。また、金曜日に。對木さんの作品を観に来られる方、明日はお休みです!よろしくお願いいたします。

 今日流れているのはマイクオールドフィールド「プラチナム」から、原田真二。どういうリレーなのか?
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by yoshizo1961 | 2014-07-23 16:58 | 本あれこれ | Comments(0)

続・對木裕里インタビュー「彫刻が見つからない」

 今日は對木裕里個展4日目。今日は昨日からの続き。未読の方は前日の記事からお読みください。


「對木さんにとって「作る」ということはどういうことでしょうか?また、ご自分の作法みたいなものがありますか?」
「わたしの場合、作りたいものが明快にあるわけじゃないんです。ただ、手は動きます。自分が気にする色や素材といったものがあり、空っぽになる瞬間に「作る」んです。でも集中すると余計なこともやってしまうんです。というか、集中すればするほど何か別のことをしてしまいます。でもその狭間で手は動いていて、何かバラバラに展開していたものが、その空っぽになる瞬間にひとつになっていくんです。ひとつのものを探しているというか・・・そうですね、作るんじゃなくて、できる、って感じでしょうか」
「最初に明確なイメージがあって、そこに向かって収斂していくというものでもないんですね?」
「そうですね・・・。ひとつのかたちが既にあってというわけではないんですが、手を動かしているうちに出来上がっていくというか、いろいろなイメージが集約されていって、ひとつになるときを待つというか・・・。ただ、例えば軽い素材を使用する場合は、重い素材も同時に考えてみてバランスをとる、ということはします。それは心の奥底で行われることなんですが」
「それと、對木さんの作品はいろいろな要素が重なり合ってますよね。素材感や、ものとものの関係性とか、ペインタリティであったりとか。それらは複合的ではあっても個々に在るものなのか、それとも渾然一体なものなのか、どうでしょう?」
「ひとつのものです。ひとつのものを探しています」

「余談ですが、なぜまどそら堂で?」
「好きな本がいっぱいあったから…(笑)。それと、美術の本が無いこと(爆笑)。あと物理の本があったからかな。でも本に囲まれた中でやるのは、結果的には大変なことでした」
「好きな作家はいますか?」
「えーと、・・・マティスかな」
「まどそら堂での個展のあとのスケジュールは?」
「9月に小田原の清閑亭でグループ展をします。来年2月には横浜県民ホールギャラリーでグループ展、6月には川口のギャラリーアトリアで個展が決まっています」

「今日はどうもありがとうございました。とても楽しかったです。また作品のこと聞かせてください」
「こちらこそありがとうございました」

 唐突なインタビューのお願いにも関わらず、真摯に答えてくれた對木さん。作品に対してもピュアな思いで臨んでおられるので、今後の展開も楽しみというものです。インタビューでは、もっと深い言葉で答えていただいていましたが、店主が簡単にまとめてしまいました。
また機会があったら、やってみたいと思います。お楽しみに!

 今日の国分寺は晴れ。ついに夏到来。セミが・・・。

 今日流れているのはビートルズ。「レット・イット・ビー」です。夕方から多分変わります。

 画像は、對木裕里「霧箱1」部分 2014
 
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by yoshizo1961 | 2014-07-22 15:02 | 展覧会情報 | Comments(0)

對木裕里インタビュー「彫刻が見つからない」

 對木裕里個展3日目。展覧会初日(7月19日)の空いている時間に作家インタビューを敢行。今日はその模様をお伝えします。

店主「きょうは作品に関してインタビューさせていただきます。よろしくお願いします」 
對木「こちらこそよろしくお願いします」

「まずお聞きしたいのは、作品を作り始めたころの話を・・・。自覚的に作品を作り始めたのはいつ頃から?」
「うーん、自覚的にですか。自覚的というか、自信を持って作り始めたのは去年くらいです。もちろん大学の頃から作ってはいましたが」
「学生時代はどうでしたか?」
「もともとランドスケープのような空間デザインに興味があったんです。それで初めはデザイン系の勉強から入ったんですが、そこで立体を作ったりしていて。それが結構面白いかなって。それで武蔵美ではデザインのほうと彫刻と両方受かってしまい、では彫刻へ、って感じだったんです」
「では最初から彫刻ありきではなかったんですね」
「そうです。だから彫刻科に入ってから、彫刻ってなんだろうって。彫刻自体がわからないから、それから彫刻を探し始めたんです」

「武蔵美から京都市立芸大に進学したのは?」
「ムサビのころは、スキルやクオリティや物語のある先輩や同期の作品を見ていて、自分にはそういったものが無くて、不安でした。作りたい衝動はあって、だけどどう作ったらいいのか、何を作ったらいいのか、何を作りたいのか、そういった根本的なところがものすごく脆弱でした。根本的な問題が解決しないまま作り続けることは無理だと思い、一度自分のことを見直すためには、違った環境が必要だと思い京都へ行きました。京都の大学には、なぜ作るのか、といった根本的なことにじっくりトライしている印象があったからです」
「京都はどうでした?」
「京都ってこちらと全然違ってて、とにかく喋らせるんです。いきなり本質的な部分から、どうして作るのかってところから喋らなければ相手にしてくれない(笑)。だから自己表現しなければいけない環境に身を置いて、それでだんだん美術が、彫刻が、好きになっていったんです」

「そうですか、では本質的な部分について訊いてみましょう(笑)。對木さんの作品は、いわゆる彫刻的な約束事というか、塊とか重さとかそういう表情をあまり感じさせませんよね?そもそも彫刻なのか、それともその周辺なのか、ご自分ではそのあたりをどう捉えてらっしゃるんでしょうか」
「わたし自身、彫刻って何なのかって自問して、彫刻を探したけれど見つかりませんでした」
「彫刻が見つからない?」
「ええ。立体を作りたい。けれども彫刻が見つからない。というより、彫刻って何だろうって。彫刻の刻は、きざむということ。でも塊というか、ものを刻むイメージより、わたしの場合は時間を刻み込む、っていうか時間をものと捉えて時を刻み込むって感じなんです。時間を意識すること、それがわたしにとって彫刻を作ることなんです」

 以下、明日に続きます。「作る」ということの本質について。

 今日の国分寺は晴れ。暑いです。今日は美術関係のお客様が何故か多い(對木さん関係以外の)。

 今日流れているのはエディット・ピアフ。風がでてきました。

 画像は参考作品(今回展示されている作品ではありません)。今回の作品はまた次回。
 
 「夜に流す」180×90×90(cm) 2013 FRP・木材・布・石膏
 
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by yoshizo1961 | 2014-07-21 15:36 | 展覧会情報 | Comments(0)

西たけろう「水遊び」

 お店の上段棚に並んでいる1976年1月号のガロ。今から38年前。1976年生まれだと38歳くらいなのね。その1976年のガロを引っぱり出して読んでみたら・・・おお、あの赤瀬川原平がUFOマンガを描いていたとは・・・。巻頭に載っているのだった。今は亡き安西水丸も載ってるし、つげ忠男も。しかし、しかし。この号でレアな作品発見!あの西たけろうが載っている!

 というわけで、今日はヴィンテージコミックスの異色作品をご紹介。

西たけろうを知っていますか?個性的ガロ系マンガ家。今回ご紹介するのは、 「水遊び」という不思議な雰囲気の作品。西たけろうの作品で不思議な雰囲気じゃないものなんてないかもしれないけど。少年が妄想しそうな倒錯した性と、少しミステリ仕立ての話の流れが妙にうまいこと絡まって、そそる作品になっている。

 誰も近づかない奥深い川の底にある危険な場所。そこで繰り広げられる怪しい出来事。川の底の描写が異様に緻密で、上手い下手を超越した筆力を感じてしまう。しかし何だろう、この言葉にできない、まとわりつく何か・・・。

 王道ではなくても、マンガのはしくれを走ってきたんだ感が溢れていても、B級センスを凌駕する何かがあるからこそ、レアコミックスとしてマニアには絶大な人気があるんだろうな。実際「水遊び」も何とも言えない読後感が残る。作品集のどれかに「水遊び」も入っているのかもしれないが、もし入ってなかったらこのガロもレアアイテムに。

 西たけろうの作品についてはあまり詳しくないので、プロフィール的なことはよく知らないが、作品一本読んだだけでも紹介したくなるマンガではありますな。心のひだに残りますぜ、この作品は。・・・他の作品も探してみよう!

 今日の国分寺は何とか持ったけど、今頃になって雷が!あー、降ってきた・・・。對木さんの個展2日目。お客様も多い。世田谷からチャリでまどそら堂まで来たKくん、ちゃんと帰り着きましたか?近所に住むSちゃん、ちゃんとご飯食べてくださいね。皆さん、今日もありがとねー。

 今日流れているのはキース・ジャレット。久し振りです。
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by yoshizo1961 | 2014-07-20 18:44 | マンガあれこれ | Comments(0)

對木裕里展はじまった!

 本日よりアーティスト・對木裕里の個展開催中。昨夜の降りしきる雨の中、搬入・展示されたレリーフ状の作品たち。いい具合に構成されて、店内の表情を一変させた。

 對木裕里は彫刻をベースにしたアーティスト。武蔵野美術大学の彫刻科を卒業し、その後、京都市立芸大を修了。現在は神奈川県で作品を制作している。彫刻と聞けば重たそうなイメージがあるが、彼女の作品は風のように軽やかだ。

 今日はオープンから作品を観にいらっしゃるお客様がひっきりなしで、このどんよりとした天気とは裏腹に大賑わい。作品はもとより、将来性をも感じさせる作家に対する期待の大きさを表しているのだろう。大げさに言うわけではないが、直観として感じるのは、意外に大化けする作家なのではないだろうか、という予感だ。

 軽やかということは、裏返せば脆弱ということか?いや、そういうことでもない。作品の主たる素材であるプラ段(プラスチック段ボール)はたしかに堅牢感はないが、素材自体の強度はそこそこある。軽いけれど、強い。素材の特性同様、對木裕里の作品も軽やかながら、強い。

 作品と作家の思いなど、具体的な話は会期中にご紹介したい。今日はまだじっくり見ていないので、落ち着いてゆっくり見て感じたい。展覧会は今月30日まで。皆さん、ぜひご覧になってください。よろしく!

 今日の国分寺は曇りのち雨。明日は?

 今日流れているのはクラフトワーク。雨にあいますね。
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by yoshizo1961 | 2014-07-19 19:33 | 展覧会情報 | Comments(0)