「ほっ」と。キャンペーン

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理解できないこともある

 昨日「虎の穴」について書いたが、「虎の穴」のスキルをもってしても理解不能なことが世の中にはたくさん存在する。今日はそんな話。

 身近なところではタバコのポイ捨て。お店の前はバス停だから、いまどき不謹慎なポイ捨てをやらかす人間も少なからずいらっしゃる。タバコを喫うなと言う気はさらさら無い。喫うのも喫わないのも当人の自由だ。バス待ちのあいだ、どうしても喫ってしまうのは解らないでもない。何故なら自分もはるか以前には喫煙者だったから。だからポイ捨ても平気でやっていた。当時はポケット灰皿なんてなかったし、タバコは道に捨てるものだと思っていた。これこそ若気の至り、いや、分別のない人間そのものだが、お店に来るとまず玄関まえの掃除をするときにタバコの吸い殻を拾う。自分がポイ捨てした本数を、いま拾わされているのだと思えば腹も立たない。が、お店の脇に置いてある鉢植え(松葉ボタン系の花が咲いている)に、喫い差しが投げ込まれていた時にはさすがにはらわたが煮えくり返る思いがした。ふつう、咲いている花の上にタバコの吸い差しを捨てるか?バスが来て、慌てて消さずに捨てたのだろう。けれどもあまりにたちが悪い。

 最近の社会の中でも理解不能なことは、あの都議会の低俗なヤジだ。議会や論議の場でヤジまがいの言葉が出るのは必然の理ではある。けれどもそのヤジの、たちの悪さで論議も台無しになってしまう。そもそも人が人を傷つけるような行為は、ぶっ叩くとか刃物で切り付けるとかそんなことをすればすぐに逮捕されるのに、言葉の暴力ではなぜうやむやのままなのだ?というより、世の中には差別したり、見下したり、いじめたりする人間が必ずいるのは何故なのだ?人間の奥深いところにあるDNAなのだろうか?業?

 そりゃあ、さっきのポイ捨てみたいに無自覚に分別の無い生き方をしてきた自分が言える立場じゃないかもしれない。知らずに平気な顔で人を傷つけていたこともあるだろう。けれども、火がついたままのタバコを、咲いている花の上に捨てることができる人間と、人の根源を平気で揶揄することができる人間は、どちらも同じレベルの低さであっても、それが同じ土の上で生活する、同じ人間なのだということが悲しい。

 世の中には、納得も、理解できないこともある。「虎の穴」でもお手上げですな。

 今日の国分寺は晴れ。今のところ。

 今日流れているのはサイモン&ガーファンクル。「明日にかける橋」が、大音量でかかっています。
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by yoshizo1961 | 2014-06-30 14:55 | 虎の穴あれこれ

宣伝「虎の穴」

 皆さんご存知の「虎の穴」は、様々な事象、事柄、それらにまつわる言葉などを考察して何かを見出そうとする会である。答えが見つかろうが見つかるまいが、「考える」という行為が大事なので、それぞれの小さな脳味噌を振り絞って、言葉を突き合わせるわけである。

 ブルース・リーは映画の中で「Don't think! Fee~l!!」と言ったが、「虎の穴」の「考える」にはこの「Feel」も含まれている。言葉で表せないと思えば別の表現手段を使うし、考えが及ばない事柄にも感受性を振り絞って「考える」のだ。考えるな!と言われれば、考えないことすら考える会なのである。

 しかし、そう言っている本人は、感受性こそ命、グタグタ考えずに感じたままの感性だけで表現すべし!という立場で作品を作ってきた。「思考」を戦略にしてコンセプト重視の理論武装した作家やその作品を認めず、人間本来の表現欲求に忠実なピュアな作品こそよしとした。どこかで見たよといった類型的な作品(剽窃なんて論外)も興味なし、コネで渡り歩くことも嫌い、オリジナル作品至上主義を旨とした。

 その立場で、物事を突き詰めて「考える」ことが大事なのであると考えるようになったのは、何故なのか。若い頃は分別もなく感性のみで生きてきて、歳をとったら感性は鈍り体力は激減。少ない脳細胞を活性化するには「考える」ことくらいしかないのであった。

 「考える」といっても哲学的命題を思索するといった高尚なものではなく、ただ意識的に考えてみるといった程度だが、ワカモノ達にまじってそんな時間を持てるという「虎の穴」は老化防止にも役立つというもの。皆さんもぜひご参加ください。次回は7月9日(水)の19:00からです。テーマは「ランナー、ブースター」。次回に限りドレスコードがあります(お面着用のこと)。詳細は前回の虎の穴報告を。≪カテゴリ≫から虎の穴あれこれに入ってください。今日は「虎の穴」の宣伝でした(参加料がかかります/一般:500円 学生:ドネーション コーヒー、お茶菓子つき)。

 今日の国分寺は晴れ、曇り、土砂降り。夕方はどうかな?

 今日流れているのはエレクトリック・ライト・オーケストラ。「テレフォン・ライン」が懐かしい。
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by yoshizo1961 | 2014-06-29 16:19 | 虎の穴あれこれ | Comments(0)

街が消えてゆく(2)

 昨夜は、9時過ぎまで延長して営業。9時半をまわった頃にかたずけて、妻を連れだって近所の中華料理屋さんへ。でも、もう閉まっている!えーっ、と嘆きながらあてもなく北口へ。お腹すいたよーとフラフラしながら、殿ヶ谷戸立体のガードをくぐる。

 線路脇の急な階段を上れば、武蔵野美術学院の先に「キッチンきたはら」があるが、急階段を上るちからが残されていなかったのでそのまま直進して複雑な交差点まで歩く。交差点手前の細い路地を駅方向に進む。何年か前まではそんなにパっとしない道だったのに、今やドーナツ屋さんから呑み屋さん、ラーメン屋さんがひしめく賑やかな通りに。

 もう何でもいいから食わしてくれーと、路地途中のむさしの食堂へ。冷たいプレミアムモルツの生をグラスでググッといただいてやっとひとごこち。開けはなしのドアから外の路地がよく見えるテーブルで、鶏とほっけの定食をたべながら、夜の路地を歩く人たちを観察。北口ってこんなに人がいるんですな?などと思いながらお腹を満たす。

 サービスでいただいたデザートの山形のサクランボが美味しくて、思わず写真などを撮り、その後、食後の散歩。「でんえん」の前の道から、子ネズミさながらに、寝静まった路地を歩く。えー、こんなところにこんなおしゃれな、というお店がたくさんあるじゃないか!昼間ではわからないお店の生態が垣間見えて楽しい散歩となった。

 結局元の路地に戻り、TSUTAYAの前へ抜けて駅へ向かう。今夜は「チェリーレッド」には寄らずおとなしく帰る。明日もあるし、などとうそぶきながら所々空き家になった建物を過ぎ、駅前のドドーンと開けた開墾地(!)に出ると、何だか西通り商店街の街灯が妙にわびしく、そのレトロちっくなかたちにまた郷愁をそそられるのだった。きっとしばらくすればこの街灯も撤去されて、跡形もなく北口駅前は消えてゆく。新たな街ができるその日までは、せめて郷愁に浸れる街灯を、どこかに残しておいてほしいですな。まどそら堂の前にでもどうですか。

 そんな街灯を仰ぎ見ながら来た道を振り返れば、こんな時間なのに人、人、人。北口の人口比率は南口の比ではありませんな。北口ってこんなに人がいるんだね。おどろきましたよ、ほんと。 国分寺市民のみなさん、いや、国分寺北口周辺を利用しているみなさん、南口にも来てねー!よろしく!ではでは。

 今日の国分寺は曇り。さっきまでは雨がザーザー降っていましたが。

 今日流れているのはケイト・ブッシュです。
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by yoshizo1961 | 2014-06-28 15:31 | 国分寺あれこれ | Comments(0)

大導寺シンの音楽夜話

  6月25日(水)の晩、久し振りに「虎の穴」が開催された。今日はその経過報告。

 今回は学生2名と店主の3人。学生の一人はパンク詩人の大導寺シン。もう一人はM.A.T.なるサークル活動を繰り広げ、成年ではあっても「少年」と呼ばれる学生。今回は中心メンバーの一人が都合で不参加のため、男3名による「虎の穴」となった。

 まずは、「問う今日と、国分寺詩」展におけるイベントでの大導寺シンの作品「優美な屍骸」についての追想戦。作品の評価、検証というより後日再制作された映像作品と、新たに制作されYouTubeにアップされている新作の映像についての考察から始まった。大導寺本人がメイキングを語り、他の2名がその詳細についてインタビューするというかたちで進行。映像表現の話から、大導寺の本筋であるパンキッシュなロック系ミュージックの話に移行。スクリレックスに象徴されるダブステップ系といってもよくわからないが、そっち系のしかも亜流の本道(?)を標榜する大導寺の音楽は、いまだカテゴライズされ得ないオリジナルを目指していると思われる。テクニックじゃなくてマインドだという某パンクバンドの教えを胸に、詩作とミュージックの二本立て、そしてその融合を目指す。表現欲求の源は、自らのコンプレックスから来ると公言するが、その表情は、コンプレックスを既にねじ伏せる術を手中にし得た自信あふれる若者の顔であった。結局、今回の「虎の穴」は“大導寺シンの音楽夜話”となった。

その後、ビジュアル系バンドの話から、音楽そのものより、見た目やポリシー重視に偏ったバンドたちの、食玩のような存在感を面白がる感性について話が及び、そこから「お面」について考察へ。そこから次回の「虎の穴」では各自制作したお面をつけて参加するという展開に。ただし、「お面」についての考察ではなく、まったく別のテーマを、お面をつけて考察するということ。その回は動画でも記録することとなった。

 次回のテーマは、「少年」のプラモデル作りの話からヒントを得て、プラモデルの構成要素である《ランナー》(切り離すこと前提のプラモデルのパーツの外枠のこと)と、ロケットの《ブースター》両者に共通する”用済み“という概念について考察することとなった。それがなければ成り立たないのに、しかしいずれ捨てられるという前提にあるもの、その言葉について。

 というわけで、次回の「虎の穴」のドレスコードは「お面」です。テーマは「ランナー、ブースター」。7月9日(水)19:00~を予定しております。どしどしご参加ください。
映像は大導寺シンの新作です(音楽は以前に制作されたもの。イベントでも本人のパフォーマンスのオープニングで流されていました)。

 今日の国分寺は曇り。雨もふるのかな?

 今日流れているのはトム・ウェイツ。「マーサ」が入っているアルバムです。



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by yoshizo1961 | 2014-06-27 13:57 | 虎の穴あれこれ | Comments(0)

新入荷情報20

 本日は新入荷情報です。


[SF・ミステリ]
「火星のタイム・スリップ」フィリップ・K・デイック/ハヤカワ文庫/1994年・10刷
「2001年宇宙の旅」アーサー・C・クラーク/ハヤカワ文庫/昭和56年・18刷
「スターファイター」ロバート・A・ハインライン/創元推理文庫/1990年・6版
「人形つかい」ロバート・A・ハインライン/ハヤカワ文庫/昭和53年・3刷
「夏への扉」ロバート・A・ハインライン/ハヤカワ文庫/2011年・6刷
「たったひとつの冴えたやりかた」ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/ハヤカワ文庫/1998年・13刷
「故郷から10000光年」ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/ハヤカワ文庫/1991年・初版
「知性化戦争 上・下」デイヴィット・ブリン/ハヤカワ文庫/1990年・初版
「薔薇の荘園」トマス・バーネット・スワン/ハヤカワ文庫/2000年・7刷
「冬長のまつり」エリザベス・ハンド/ハヤカワ文庫/1994年・初版
「毒ガス帯」コナン・ドイル/創元推理文庫/1982年・7版
「マイナス・ゼロ」広瀬正/集英社文庫/2008年・改訂新版・1刷
「ツィス」広瀬正/集英社文庫/2008年・改訂新版・1刷
「エロス」広瀬正/集英社文庫/2008年・改訂新版・1刷
「鏡の国のアリス」広瀬正/集英社文庫/2008年・改訂新版・1刷
「T型フォード殺人事件」広瀬正/集英社文庫/2008年・改訂新版・1刷
「恐怖省」堀晃/集英社文庫/昭和57年・1刷
「躁宇宙・箱宇宙」梶尾真治/徳間文庫/1985年・初版
「蘇った鷲たち」J・デイモーナ/新潮文庫/昭和57年・初版
「ビアス怪談集」ビアス/講談社文庫/昭和52年・1刷
「ルピナス探偵団の憂愁」津原泰水/東京創元社/2007年・初版

[文芸]
「赤頭巾ちゃん気をつけて」庄司薫/中央公論社/昭和44年・初版
「百」色川武大/新潮文庫/平成15年・8刷
「雪あかり」曾野綾子/講談社文芸文庫/2005年・1刷
「廃疾かかえて」西村賢太/新潮文庫/平成23年・初版
「おとうと」幸田文/新潮文庫/平成10年・59刷
「おろしや国酔夢譚」文春文庫/1992年・20刷
「地の星」宮本輝/新潮文庫/平成10年・2刷
「タクシードライバー・一匹狼の歌」梁石日/幻冬舎/アウトロー文庫/平成10年・2版
「ユーモア小説集」遠藤周作/講談社文庫/昭和49年・10刷
「ユタと不思議な仲間たち」三浦哲郎/新潮文庫/平成17年・22刷
「村上龍全エッセイ」村上龍/講談社文庫/1991年・1刷
「嗤う伊右衛門」京極夏彦/角川文庫/平成16年・6版
「頭は帽子のためじゃない」阿刀田高/角川文庫/昭和63年・初版
「西の魔女が死んだ」梨木香歩/新潮文庫/平成20年・53刷
「永遠の出口」森絵都/集英社文庫/2006年・1刷
「闇の守り人」上橋菜穂子/新潮文庫/平成20年・7刷
「さよならに乾杯」森瑤子/角川文庫/昭和60年・初版

[その他]
「詩集 死の淵より」高見順/講談社文庫/昭和48年・6刷
「優しき歌」立原道造詩集/角川文庫/平成11年・初版
「もう一つの宇宙」ロバート・ジャストロウ/集英社文庫/昭和59年・2刷
「63歳からのパリ大学留学」藤沢たかし/新潮文庫/平成5年・初版
「釣魚極楽帖」盛川宏/中公文庫/1997年・初版
「日本のゴーギャン 田中一村伝」南日本新聞社編/小学館文庫/2004年・4刷
「外国映画代表作への招待 ヨーロッパ編 スクリーン編集部選」近代映画社/1970年・1刷
「宇宙のオーパーツ」南山宏/二見書房/1995年・初版
「ズッコケ心霊学入門」那須正幹/ポプラ社文庫/1987年・21刷


 今回、全体の画像を撮るのを失念しました。申し訳ありません。代わりに季節の花をどうぞ。明日は定休日ですが、もしかしたら営業するかもしれません(ブログはお休みです)。クイアバは・・・。

 今日流れているのは押尾コータロー。静かです。
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by yoshizo1961 | 2014-06-25 13:32 | 入荷情報 | Comments(0)

クイアバの奇跡

 日本時間で朝の5時。現地クイアバでは午後4時。まだ日の入りまでには一時間以上あるこのバンタナルアリーナで、1次リーグ・C組の最終、コロンビア戦を控えた日本代表の選手たちが緊張冷めやらぬ表情のままピッチに立ち、キックオフの笛を待っていた。

 思えば鳴り物入りで迎えたザッケローニ監督のもと、4年間というものそれなりの結果を出してきた日本代表だったが、本番のワールドカップでは1次リーグ2試合ともに本来の実力を出せないまま、今日のコロンビア戦を迎えることとなった。既に本選突破を決めているコロンビアは、エースのロドリゲスを先発から外すという余裕をみせていた。

 日本の先発陣は前の2試合とほぼ変わらない布陣であったが、ワントップには大迫ではなく柿谷曜一朗。柿谷は1次リーグ最終戦で、やっともぎ取った先発のポジションを絶対に離さないという闘志を胸に、はやる気持ちをおさえながらこの試合に臨んでいた。この試合に負けたら予選敗退。たとえ勝っても同時刻に行われるコートジボワールとギリシャの試合で、コートジボワールが負けか引き分けでないと予選突破ができないという窮地に追い込まれていた日本は、他力本願ではあっても最善の努力を惜しまず、やれること以上の力を出し切ってこの試合を勝ち抜くしかなかった。

 キックオフ直後、長谷部の足元にころがってきたボールを、目も覚めるようなキックで前線に蹴り上げると、そのボールは本田の胸元をすり抜け、前で張っていた柿谷の頭にドンピシャで合い、振り向くように頭を振ったかと思った瞬間、既にボールはゴールに突き刺さっていた。

 歓喜。わずか数秒で先制点をもぎ取った日本。柿谷の興奮は日本を奮起させた。その後も前からガンガンと攻めまくる日本。押し込まれたコロンビアは、前半にもかかわらずロドリゲスを入れざるを得なかった。すると少しずつ流れが変わり始め、コロンビアがボールを支配する時間が長くなっていった。同点ゴールが入った瞬間からまた日本が下を向き始め、そのわずか数分の後に逆転ゴールを決められた。

 逆転ゴールを決めたロドリゲスの周りにコロンビアの選手が集まり、歓喜のパフォーマンス。いよいよ下を向き顔が上がらない日本。そのまま前半が終了した。ピッチから控室に向かう選手たちの表情はほとんど色をなさず、口を開く者も皆無であった。

 当初の予定も狂い、どうにも身動きできなくなったザッケローニは、もうほとんどやけくそ気味に選手たちの目の前でコロンビアの選手名簿をビリビリに破り、頭上にまき散らした。それを見た選手たちはジレンマを感じつつも自らを鼓舞するようにわけのわからない声で吠えはじめ、一種異様な雰囲気のまま後半戦になだれ込んでいった。

 ピッチに現れた日本の選手たちの眼は異様に吊り上がり、まるで野犬さながらであった。その異様な雰囲気のまま後半が始まり、同じく異様な眼をしたザッケローニが後半早々に選手交代の切符を切った。岡崎に変わりピッチに入った清武弘嗣。清武のまなこも瞳孔が開いたままのような異様な面持ちで、コロンビアのディフェンダーたちも恐れをなして寄せがあまくなった。

 香川、清武、柿谷のセレッソトリオがまるで妖怪人間ベムの三人のようにピッチ上で絡み合い、妖しいパスの応酬でコロンビアゴールを脅かし始めた。が、攻め続けながらも決定打にかけるゴール前。陽が傾きはじめ、夕闇が迫る魔の時刻、夕陽をそのまなこに受けた瞬間、柿谷のジレンマはクイアバの夕闇に舞い上がり、飽和状態ぎりぎりのパワーがいきなり解放された。香川から清武、清武からの地を這うようなパスを受けると怒涛のフォワードと化した柿谷が左足を振り切ると、すでにボールはコロンビアゴールを突き破っていた。

 気が付いてみると立て続けに3点を奪い、4対2のスコアでコロンビアに勝利した。試合終了と同時にコートジボワールとギリシャが引き分けの一報がもたらされ、日本は1次リーグ突破を決めたのであった。試合後、憑き物が落ちたかのように放心する選手と監督の表情を見て、こういうこともあるのだなあと、この劇的な試合をその後「クイアバの奇跡」として語り継ぐこととなった。

 ・・・・・・なんてことになればいいね。あー、疲れた。ほんと、勝ってくれよ!

 今日の国分寺は曇りから雨。空が真暗になってきた。雷なってるよ!しつこくお知らせ。明日の晩は「虎の穴」。参加希望の方はお店にご連絡ください(コーヒー、お茶菓子付き。参加料;一般500円・学生ドネーション)。

 今日流れているのはマイク・オールドフィールド。「チューブラー・ベルズⅡ」です。
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by yoshizo1961 | 2014-06-24 15:10 | 創作 | Comments(0)

ジャック・ワイルドみたいに

 今日は映画の話。1971年に公開されたアラン・パーカー監督のデビュー作「小さな恋のメロディ」について。

 この映画を初めて観たのは公開から6~7年後。高校生の時、田舎の名画座で。それからテレビ放送で観たりビデオで観たりで、もう何度もくり返して観てる。何がそんなにいいのかと自分でも思うほど観たけれども、忘れたころに、また観たくなる。日本では大ヒットした映画だけど、本国のイギリスではそれほどでもなかったらしい。

 初めてまともに見たイギリスの風景と生活。ヒルトンの「チップス先生さようなら」で頭の中に出来上がっていたイギリスの学校のイメージもそのまま。こてこての日本的生活とは何もかもがまるで違っていて、ある意味ではカルチャーショックめいたものも感じたりした。食の風景もまるで違ったなぁ。昼飯に家族でハム(生ハム?)だけをお皿で食べているシーンは、えー、これだけ?って感じだったが、それがおいしそうでたまらなかった。主人公の一人であるダニエル(マーク・レスター)は中産階級の家の息子で、もう一人の主人公のメロディ(トレイシー・ハイド)は労働者階級の家の娘だったが、労働者階級でどちらかといえば貧しい家であっても、大きなテーブルで家族みんなで大きな生ハムをナイフとフォークで食べるシーンは、ちゃぶ台でたまごかけごはんが定番のイメージの自分にとっては、超リッチな感じがしたもんだ。

 脇役ではあったが、存在感で二人の主人公をも食っていたオーンショー(ジャック・ワイルド)も労働者階級の家の子で、しかも貧しい家の子という設定であったが、彼が食べる昼飯にしてもオーブンに無造作に投げ入れたなんだかわからない食べ物であっても、たまごかけごはんよりおしゃれでおいしそうだった。

 そもそもこの映画はそういった社会の構造とか、権威と、旧態依然とした教育の現場を下敷きに、なぜもっと自由にものごとを感じてはいけないのか?というテーマを「恋」というかたちにして描いたものだが、高校生の時に観た印象は、トレイシー・ハイドが可愛いいとかジャック・ワイルドがかっこいいとかそんなこと。そしてメルヘンな恋の行方に気を取られて、あの二人はどこへ行っちゃったのかなー、などと思っていただけだった。けれども何度も観るうちに映画そのものの深みにハマっていった。

 もし自分で映画を撮るなら、この映画の影響は多分に出ることだろう。ビージーズの曲と映像がマッチアップするあの感じとか、ジャック・ワイルド的立ち位置の配役とか。それに絶対なのは、この映画のラストシーンのように、だんだん上空にカメラが引いて行って風景に溶け込む終わり方!もうほとんど頭の中では出来上がっちゃってる(笑)。

 当時はジャック・ワイルドみたいにちょっと斜にかまえた奴がかっこよく見えたが、それはいまでも変わらない。ジャック・ワイルドはもうこの世にはいないが、ああいう感じの役者さんで映画を作ってみたいもんだ(作れればいいなーという想像の話だけど)。まだ観たことないというアナタ、いますぐTSUTAYAへGO!

 今日の国分寺は曇り。蒸し暑いですな。昨日もお知らせしましたが、今月25日の水曜日の晩、19:00より久し振りに「虎の穴」があります。参加されたい方はお店にご連絡ください。よろしくー!もうひとつお知らせ。来月7月19日より、まどそら堂にて「對木裕里」展を開催します。近くなりましたら詳しくお知らせします。こちらもよろしくー!

 今日流れているのはブライアン・イーノ。沈黙してます。
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by yoshizo1961 | 2014-06-23 16:28 | 美術あれこれ | Comments(0)

ギター考

 先日、ちょっとしたことから段ボールでギターを作る機会があった。段ボール製だからちゃんと音が出るわけでもなく(ちゃんと弦を張ってチューニングすれば音らしきものは出る筈)、まあ、おもちゃなのだが、見た目はなかなかいいので今度バージョンアップしたものを作ってみようかな、と。

 中学生の頃フォークギターが流行って、その流れで一時だけどもフォークギターを持っていた。父親にギターが欲しいと言ったら、行きつけの質屋で流れていたフォークギターを買ってきてくれた。ヤマハ製だったが、明らかに廉価な初心者仕様のギターだった。当時の中学生にとって、フォークギターはチャリと同じく必須アイテムだった。皆がみなギターを持っていたわけでもないので、ギターがうちにあるというだけで嬉しかったが、音楽は好きでも演奏以前のリズム感の無さと、左利きのために右腕でストロークが上手く弾けないせいでどうにも上達せず(弦を逆さまにつけるとか、左で持って下からストロークという知恵など勿論なかったので)結局ほったらかしになった。同じ頃に練習し始めた友達は、めきめき上達して行き、陽水や拓郎の曲を容易く弾きはじめた。それを見て、自分の才能の無さを実感した。

 高校に入った頃には、いつものFくんのような天才型のギター名人がクラスに一人くらいいて、もしまじめに練習してたらああいう風に弾けるようになったかも・・・などと夢想はしてもまたやってみようとは思わなかった。けれどもこの歳になってもいまだにギターへの憧れは消えず、かっこよく弾いているアーティストを見ると羨ましくなってしまう。

 YouTubeでプロモーションビデオをよく見るが、ジミーペイジより見るようになったのは、ガンズのスラッシュのギター。以前にも書いたが、「ノーベンバー・レイン」のプロモの後半でスラッシュが乾いた風が吹きすさぶ荒野に立ち、曲の間奏をソロで弾く場面が最高にかっこいい!ああいう風に弾いてみたい!(あのルックスも最高)
 アクセル・ローズが弾くグランドピアノに乗り、ギュイーンと弾くシーンもかっこよすぎる!ああいう風に弾いた日の晩は気持ちよく眠れるだろうなー。

 先日、妻が、呑み屋のママさんに三味線の手ほどきを受けて、筋がいいと褒められた。その前に自分が弾いてみたときには、ご主人はちょっとねぇ・・・と言葉を濁らされたのでやっぱり向いてないんでしょうな。

 結局買ってもらったギターは、父親がまた質屋に持って行ってしまったので、それ以来ない。段ボール製手作りギターで再度練習しますかな。上達しそうもないけど。

 今日の国分寺は、雨のち曇り。雨は難儀ですな。早く梅雨終わってほしい・・・。お知らせ:6月25日19:00~より「虎の穴」開催!参加希望者は当日19:00までにお店へお越しください。あらかじめご連絡いただけるとうれしいです。

 今日流れているのは昨日と同じくライ・クーダー。この人もうまいですな、ギター。


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by yoshizo1961 | 2014-06-22 17:01 | ミュージックあれこれ | Comments(0)

星屑をすくってみた

 バックナンバーの日経サイエンス(2013・3月号)のある記事から、宇宙と今ここに関する想像を広げてしまった。

 その記事は、「ダイヤモンドの惑星」~地球とは科学組成があべこべの系外惑星が見つかった~。地球とは逆の組成の惑星といってもピンとこないが、主に炭素でできていて、惑星内部では圧力によって大量の炭素がダイヤモンドになっている可能性がある星の話。そんなダイヤモンドの星が、太陽系から40光年離れたところに見つかったという。

 炭素なんていくらでもあるもんだと思っていたが、地球での存在比は0.1%に満たないそうだ。この惑星の結晶ダイヤモンド層の厚みは、惑星の半径の3分の1に及ぶ。こうした炭素惑星の構成は、地球ができたのとはまったく異なる形成過程によるらしい。

 そんな惑星が太陽系から40光年のところにあるといっても、いったいどのくらいの距離なのか?40光年というのは、光の速さで40年かかるということ。光の速さは秒速で約30万km。1光年で9兆4千600億km進むので、40光年で、378兆4千億km。なので、太陽系から約380兆キロ先にダイヤモンドの星があるというわけだ。

 ちょっとばかり堀りに行こうと思っても、簡単には行けませんな。この記事を読んでいて想像したのは、ダイヤモンドではなく、なんでそんな遠くの星のことがわかるんだろう?ということから始まって、いったい宇宙の遠くまで行ってみたら地球はどうなっているのかな、と。

 もう無理っていうくらいまで、(花子みたいに)想像の翼を広げてみよう。地球を飛び立って、どんどん遠くへ飛んで行く。太陽系を超えて、銀河系も超える。銀河系が小さな砂粒くらいに見えるあたりまで飛んで行って、そのあたりで初めて後ろを振り返る。・・・・・・うーん、地球はどこだ?

 振り返って眼を凝らせば星屑だらけだ。プラネタリウムみたい。いやいや、本物の星屑だ。両手でかき集めて胸の前にためたら、片手で一握りしてみる。すくい上げた手のひらから星屑がこぼれてしまう。こんな遠くまできて地球なんてどこかわからないし、砂粒くらいの星屑だらけの宇宙で、いったい、星の組成よりなんでこんなに星ばかりなんだろうと思ってしまう。

 地球は、すくった手のひらのなかの星屑のなかに埋もれているかもしれない。けれどそんな小さな砂粒程度の星なのに、その星の表面にへばりついて、コロンビア戦には絶対勝たなければならないとか、今夜のごはんは何かなどと考えたりしている人間の思考というものはそもそも何なのだ?と。いったいそれを誰が見ているのか?宇宙で誰かが理解してくれているのだろうか?だーれもいない宇宙だったら、そもそも何で何のために考えているのか?宇宙の端っこの銀河系のまた端っこの太陽系の小さな青い惑星の土の上で、あーでもないこーでもないと考えている自分そのものとは、いったい何であるのか?

 ・・・・・・わからん。遠い宇宙から地球を見たら、表面にいるのかいないのかわからないくらい小さな人間。けれどもひょっとしたら「フェッセンデンの宇宙」みたいにどこかで誰かが見ているのかも。そんな想像をしてしまった。

 この記事の最後で、もしこの惑星に生命がいるとして、求婚されたときにダイヤモンドを贈られてもうれしくないだろう、と。そりゃそうだね(笑)。科学の記事にしてはウイットに富んでいて、面白かったです。

 今日の国分寺は晴れ。今日は持ちそうだ。

 今日流れているのはライ・クーダーの「パリ・テキサス」。しっとりとしています。

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by yoshizo1961 | 2014-06-21 15:10 | SF・ミステリ | Comments(0)

「古時計百種百話」緑川洋一あります

 家の目覚まし時計がひとついかれてしまって、もうひとつある目覚まし時計も鳴ったり鳴らなかったりで、頼りないことこの上なし。絶対起きなければならない時間に目覚ましが鳴ってくれず、寝坊したことも(鳴ったんだけど止めてただけだったりして)。

 時計というのは、ただ時間を表示しているだけに過ぎないはずなのに(時計そのものが時間であるわけでもないのに)時計という固体に時間が宿っている気がしてくる時がある。お店にも昭和レトロな壁掛け時計があるが、やたらとボンボンうるさいのでネジを巻かずに放置している。静かな時にいきなりボーンと鳴るので、お客様もビックリしてのけぞってしまうから(笑)。それが面白くてネジを巻きまくってた時もあったが。

 お店には古時計マニア垂涎(?)の、「古時計百種百話」がある。歯医者さんで写真家の緑川洋一の本。緑川洋一がひたすら集めた古時計たちと、その時計たちにまつわる話をエッセイ風に書いている本だ。なかでも讃岐の円座という村の、古い時計屋で求めた古時計の逸話が面白かった。鳥籠の鳥が動く置時計と、大正時代の古時計二つの合計三つ。幾らかと老人の主人に尋ねると、幾らで買うか、と。三つで六千円。そう答えると、老人は即座に六千円?とんでもない、と言う。安すぎたかな・・・と思って、しまった顔をしたら老人は緑川の顔をしげしげとのぞきこんで、お前さんは時計屋ではないな。これを六千円で売ったとあっては円座の時計屋が末代まで笑われる。高すぎる。ひとつ五百円、三つで千五百円。それ以上は絶対受け取らん。お前さんはよほど時計が好きらしい。上方から業者が来て売ってくれと言われたこともあったが、今までついぞ売らなかった。わしは年老いた。どうかそれを可愛がっておくんなさいよ・・・(一部本文から抜粋)と言われたそうだ。

 昭和の何年の話かわからないけど、当時の六千円ならそれなりの金額だったんだろうなと思うが、後で調べたら鳥籠の置時計は相当古いものだったらしい。そんな古時計にまつわる話と、現物のモノクロ写真が百種百話。本自体もレアだけど、中に載っている時計たちもレアものばかり。・・・面白いね。

 時間というのはほんとにあるのか、それともないのか。あってもなくても古時計には古い過去の時間も詰まっていそうな気がする。お店の掛時計もたまにはネジを巻いてみようかな。・・・昭和な時間が流れそうだよ。

 今日の国分寺は晴れ。ギリシャ戦は・・・。次のコロンビア戦に、一縷の望みをかけよう。限りなくゼロに近い確率でも、確定してないものはどうなるかなんてほんとわからないから(と、自分に言い聞かせています)。

 今日流れているのはクラッシュ。「ロンドンコーリング」で迷いを吹き飛ばせ!
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by yoshizo1961 | 2014-06-20 16:00 | 本あれこれ | Comments(0)