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「マイラヴ」ウイングス

 今日は暑いね。まだ梅雨も来ていないのに・・・。でもあっという間に夏になるのですな。セミが鳴いて、汗たらたら流して歩くあの夏が!(なにを興奮しているのか・・・)

 久し振りに音楽話。といってもいつものごとくロック系だけど。今日はポール・マッカートニーのウイングス。

 ビートルズが解散してから何年経った?解散したのが70年だから44年!うーん、結構むかしなんだねー。さすがにまだ小さかったからリアルタイムでは聴いてなかったよ。アグネス・チャンとかぴんからトリオとか、歌謡曲ならよく聴いてたけど。ビートルズをまともに聴きはじめたのは中二病の頃だわ。それでも井上陽水やNSPとかのフォークソングと10cc辺りのロックと混在して聴いていたから、いい曲ばかりのバンドくらいの認識だった気がする。

 高校入ったあとにロックの洗礼を受けてから、ビートルズの立ち位置というものも理解したが、まあ、有名なイエスタデイとかレットイットビーくらいの認識だった。ヘイ・ジュードの最後の方で繰り返すところは、ナナナ・・・なのかラララ・・・なのかで同級生のOくんともめた記憶がある・・・まあ、そんなことはどうでもいいけど、ビートルズは名曲バンドだけどハードロックな印象が無かった。

 基本的にツェッペリンだから、ポールにせよジョン・レノンにせよポップスとしてインプットされていたが、ウイングス時代になってからのポールの曲には妙にシンパシーが湧いて、好きになっていった。まともにウイングスを聴いたのは高校出た辺りで(「ジェット」近辺はは中学生のときにリアルタイムだったが)、4畳半のぼろアパートで眼が覚めるとまずはカセットテープレコーダーの電源を入れ、まずはウイングスの「マイラヴ」を聴くのであった。(あの)高校の同級生のFくんが録ってくれたテープの中にはウイングスもいっぱい入っていたけど、とにかく「マイラヴ」がお気に入りだった。

 顔を洗って歯を磨いて予備校に通う時間帯、朝の大泉学園(当時はここに住んでいた)の駅のホーム脇を小走りに通り過ぎて行くとき、「マイラヴ」が頭の中で回転して、たまに声に出して歌ったりしたもんだ。♪マイラ~ブ ダズイィーッ グー オーゥオーゥオーウゥオーゥオーゥ マーイラァブ ダズィ―グー~♪と、簡単に歌える部分だけ声に出して(ポールの曲はオーとかウーとかが多い)、最後の、♪オンリマイラブ ダジィグーウ~ウ~ウウウウ~ トゥ~ウ~ウ~ミィーウォ・ウォ・ウォ・ウォ・ウォ―ヲウォウォーーーは絶叫して走った。

 なんでまたこんな話をと思うだろうが、今回の騒動を見るにつけ、ポールも寄る年波には勝てぬのかと思うと淋しいものを感じて最近よくポールのベスト盤を聴いているので、つい書いてしまったというわけであった。ジョンもジョージ・ハリスンもとっくに逝ってしまったけれど、ポール・マッカートニーには100歳越えても来日して、武道館でマイラヴを歌ってもらいたい。そんときには行きたいね。一緒に歌いたいよ、ほんと。皆さんも「マイラヴ」聴いてみてください。おすすめです。

 今日の国分寺は晴れ。お知らせ:明日31日(土)は臨時休業です。また日曜日に!

 今日流れていたのはポールのベスト盤と、10cc。どちらも最高です。
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by yoshizo1961 | 2014-05-30 16:34 | ミュージックあれこれ | Comments(0)

「問う今日と、国分寺詩」展ファイナル

 「問う今日と、国分寺詩」展、本日最終日。

 あっという間に過ぎてしまったが、定休日を除いた16日間というもの作家さんの作品を見続けて(しげしげと詠み)感じたり考えたりした。同じ「詩」という括りであっても、みな違う。すっ飛んでいたり、オーソドックスだったり。ほんと、面白いですな。また時間が経てば、あの時のコトバはこういうことであったのだなと、再び感ずることもあるかも知れない。小説もエッセイもマンガもみんな面白いけれど、詩も面白いものなのだということが、少しは届いたかもしれないね。

 ライヴでは、生の息づかいや空気のリアルが、非日常な時間をつくリ出して、ほんと楽しませてもらった。終わってから飲んだビールがほんと美味しかったよ。ただ、もう見てるだけ、がいい!今後は経済活動という観点も取り込んで貰えるなら、単独ライヴみたいなこともやってみてもいいかも。

 なんにせよ、無事終わりそう(19時までにはまだ数時間あるけど)。一周年の記念にと思っていたけど、また来年もこの時期に2回目の「詩」の展覧会をやりたいものだ。(→ここから店主の勝手な想像)結局毎年「詩」の展覧会を開催して早や10年。地元はもちろん全国的にもに認知された展覧会となった。折もよく国分寺のデカい公園のそばに、これまたデカい国分寺市立美術館が誕生。まどそら堂と国分寺市の共同主催で「第10回東京都国分寺詩」展が開催されていた。全国公募で集まった詩の審査員をしているのは、第1回目の出品作家の8名であった。いつになく力作揃いの作品が集まって、入選作を選ぶのは一苦労。しかしその中にとてつもないスケールの言葉があった。満場一致で選ばれたその作品は、展覧会をも飛び越えて世界で詠まれる詩となって、結局その言葉によって戦争や紛争はなくなり世界平和が訪れた・・・・・・なんてことにだってなるかもしれない。わからないよ、ほんと。近所の子どもが、今まさにその詩を書き始めているかもしれないじゃないか。

 ふたたびなんにせよ、今後も続けていきたいと。「国分寺詩」という言葉が新しい詩の概念になるように。国分寺、という言葉には永い年月が培った言霊としてのちからがあるんだと思う。そここそが国分寺たる所以なのだ。だから省略したり縮めたりせず、国分寺、そのままで。そのちからを背負った「国分寺詩」を皆で、紡ごう。

 今回出品していただいた作家の皆様、そして見に来てくれたお客様、そしてこれを読んでくれているあなた、ほんと、ありがとうございました。これからもよろしくー!

 今日の国分寺は晴れ、暑いです。明日は定休日ですのでお休みします。予告ですが、今週の土曜日(31日)は臨時休業します。よろしく!では金曜日に。

 今日流れているのはレインボー。(^^♪アイクヮミングブゥーアック!!と吠えています。
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by yoshizo1961 | 2014-05-28 16:10 | 展覧会情報 | Comments(0)

ライヴ外伝・店主の杞憂

 あー、とにかく無事イベントデーをこなせた!どうなることやらと気を揉んでいたのでこうして落ち着いて書けることがうれしい。

 当初はパフォーマンス経験豊富な成瀬みやかさんをメインにプランを立てていたが、ご本人の都合で当日が無理となってからどうしたものかと。その時点で新田倫平さんも参加を表明していたので、計算できる一人であったが、同じく参加を表明していた大導寺シンさんは実際どういうものになるのか予測がつかず、どう組み立てればよいのか考え込んでしまった。

 実際そんなに考え込んでも仕方ないのだけれど、ほぼ一週間前くらいから徐々にテンパってきて、盛り上げるにはどうしたらいいのかということに執着しはじめた。何度も頭の中でシュミレーションして、こうしてああしてと想像した。二人だけというのもボリューム的にどんなものかと考えて、クリエイティブそうなお客様が来れば片っ端から声をかけてみた。舞踏をしていると聞けば踊りながら詩を詠めとか、ミュージシャンだと聞けばマイクなしで歌いながら詩を詠めとか、勝手なことを言って困らせたり。そんな風にせっつけば、逆に来づらくなるのにね。

 やっぱり華がないと、と思いお店のアイドルのヘルメットの女の子に声をかけたが、都合がつかず今回はだめだった(彼女が詩の朗読をすれば当日のスターになるのは必至だっただろう。機会があったらまたオファーしたい!)。そんなわけで、もし中だるみしたり、間が持てない感じになったりした場合を想定して中原中也の「サーカス」を詩の行数分コピーして、来てくれたお客様に配り一行づつ詠んでもらうという準備をしておいた。そのためにブログでも中也の「サーカス」を取り上げて伏線を張った(「サーカス」のコピー、もし欲しい方がいらっしゃったら、言っていただければお一人、一枚差し上げます)。

 そこまでシュミレーションして準備しておくことは普通だと思うが、今回は思い入れすぎて、変なベクトルを持ったシュミレーションに走って行った。

 もし、本当に最後の最後で盛り下がったらどうすればいいのか?そうしたら、最後は自分がどうにかするしかない!自分が弾けるしかない!と、間違った方向に突き進み、自分が唯一諳んじることができる宮沢賢治の「春と修羅」を絶叫するのだと思い込み始めた。普通に声を出して詠んでもつまらないので、いつも聴いているプログレと被せて・・・などと色々試してみたが、どうもしっくりこない。そこで全く合いそうもないガンズ・アンド・ローゼズの「ノーベンバー・レイン」に被せて詠んでみると意外にもピッタリきたので、これしかない!と練習しはじめた。

 それがちょうど一週間前くらいだった。スラッシュのソロギターのいちばん盛り上がるところで、「俺は―、俺はー、俺はーーー、ひとりの修羅なのだーーーーーー!」と絶叫する自分に酔いしれて、誰もいないお店でリハーサルを繰り返していた。当日には小道具の黒い雨傘をそっとステージの脇に忍ばせ、寒くもないのにおしゃれ系の薄いマフラーをカバンに忍ばせていた。

 結局そのシュミレーションは杞憂に終わった。あの二人が完璧にこなしてくれたから。中也のサーカスも用無しだったし、春と修羅ガンズバージョンもやらずに済んだ。というより、ほんと、やらなくてよかった。やってたら赤っ恥どころじゃなくて、しばらくお休みします状態だったに違いない。やっぱパフォーマンスなんてものは若いもんに任せるのがいいですな。ほんと、やらなくてよかったよ!

 今日の国分寺は晴れ。曇ってたりしたけど。雨はまだ何とかもってる。

 今日流れているのは、これまた万が一の場合を考えて成瀬みやかさんが川上未映子の朗読をしたものを大導寺シンさんがいじって妙な朗読になっているCD。当日には大導寺シンさんのオープニングの前に少し流れていました。
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by yoshizo1961 | 2014-05-27 17:53 | 展覧会情報 | Comments(0)

ライヴ!国分寺詩・新田倫平編

 昨日から引き続き、イベントデー・ライヴパフォーマンスの話を。新田倫平編。

 大導寺シンのパフォーマンスのあと、玄関口の外で控えていた新田倫平が登場。軽いトークを交えながらギターやアンプの準備をする。整ったところで、僕の名前は新田倫平です、と名乗ったところからライヴパフォーマンスの始まりだ。

 ギターを抱え込み椅子に座って、軽い冗談を交えながら場を作っていくあたりは、幾たびかこういう表現の場を経験し、そこから培われた彼なりのスキルを持っているのだろうということが伺われる。彼の小学生時代のこの国分寺の地元の友人たちがたくさん駆けつけてくれたので店内には新田倫平のホーム感が溢れ、やりやすい場になっていたと思うが、表情や言葉の奥では緊張の波がさざめいていたのかも知れない。

 ギターを軽く爪弾きながら、「詩的遊戯」としての回文やアナグラムなどに触れ、今夜のパフォーマンスの概要を説明してゆく。難解なところは補足のペーパーを配り、フォローする。ギターを弾き、歌うこと(または詠むこと)は、イタコと同じ作用であるという自分なりの立ち位置を示しながら、「七時とおはよう」の歌(詩・言葉)からスタート。

 「七時とおはよう」に続き、おかしくなるなら、わたしも連れてって・・・(注:そう聞こえた)という高音の声で歌い上げる曲。みな短編の詩のごとく、その短さで表現される言葉とその情景は不思議な余韻を残す。そして歌われる言葉のはざまで、自分の詩に対するスタンスが表明される。自己表現の歪んだ表現には普遍性を感じない、自分の外から言葉を選んでみたい。そういう自己表明は作家自身の核心であると思うが、それが間を置かずに繰り出される冗談まじりの言葉に混ざって吐き出されるのが面白い。

 「六歳の女の子」という曲のあと、大導寺シンのパフォーマンスにも触れ、大導寺の後半の観客を取り込んだ詩の作りと同義な、自己から離れた「輪廻転生」という曲を歌い上げる。ギターの弾けるストロークと爪弾くパートの対比が言葉と重なる。出品作の「回文313」に触れ自分の目指す境地を示したあと、リアルタイムで奏でた音と言葉を多重録音し、それに被せて歌う。谷崎潤一郎と夏目漱石とのくだりに絡めた曲でフィナーレ。

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 淡々とパフォーマンスの進行をなぞったに過ぎないが、ライヴでは言葉より音、というか歌(唱か詩か曲か)のインパクトが先にあって、たとえばギターの音色だとか合間の軽いトークの方が耳に残り、言葉そのものがおいてけぼりを食い、後から追っかけてくるという印象であった。だがそれは、自己表現ではないところで作られた言葉を表現するには適しているのかも知れない。音と言葉が一体化して、どんな言葉にせよ目の前で生の声で発せられる言葉には言いようのないインパクトがあるし、それが自己表現であろうがなかろうが観る(聴く)側からすればその人自身の感情の発露として受け止めるわけで、何を言ったかなんて忘れてしまっても、新田倫平が目の前で叫んだり呟いていたりしたことは記憶に留められる。そのあとで彼が作り上げてきた言葉が、またどこかで繰り返されれば、いずれ言葉の方が勝手に歩き出すだろう。詩のなかでの自己表現は否定しても、自分自身をさらけ出す自己表現は人一倍強い作家なのである。

 今回のライヴに関しては、またいずれ別の機会に考察してみたい。感じたこと、考えてしまうこと、生であること。情報という記号ではなく、すぐ目の前で、触れる場所で起こるリアル。それは、大導寺シンの言葉を借りれば「くさいセリフだけど小さな奇跡と呼べなくもないだろう、いや奇跡と名前をつけてしまえばいいんだ、それとも他の名前を」ということだ。

 今回寄ってくれた皆様、本当にありがとうございました。パフォーマンスをしてくれたお二人にも心から感謝します。ありがとう。なお、新田倫平さんのライヴの中で発表された歌の作品タイトル及びその表記は店主が聞き取った言葉なので正確ではないことを記しておきます。

 今日の国分寺は曇り。雨が降りそうです。

 今日流れているのはキース・ジャレット。ケルン・コンサートです。
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by yoshizo1961 | 2014-05-26 17:11 | 展覧会情報 | Comments(0)

ライヴ!国分寺詩・大導寺シン編

 昨夜はイベントデー、二人の出品作家によるライヴパフォーマンスがまどそら堂で行われた。

 パフォーマンスをしてくれたのは大導寺シン、新田倫平の二人。共に音楽をからませながらのライヴであった。ともに、大雑把な打合せはしていても、リハーサルも何もないその場での一発だったので、その時間が迫るにつれ、じわじわと緊張の波がよせてくるのであった。

 特に大導寺シンに至っては、高校で演劇部であったということと、その後、多少のパフォーマンス経験ありという程度でまだ未知の表現者であり、また、先頭バッターということもあって緊張の度合いはいやがうえにも増すばかりであった。パフォーマンス経験がそこそこある新田倫平でさえ、平常心のように見えて、その実、視線には緊張感がにじみ出ているのであった。

 何故か店主にもその緊張は伝染し、他にやらねばならないことがいくらでもあるのに、せめてもの演出にと手作りしたスポットライトの手動調光器の調整ばかりに執着して、気を紛らわしているのであった。時間が迫り、わらわらと集まりだしたお客様を尻目に、無駄な動きで空まわっている店主に、これまたそわそわしまくりの大導寺が、あらかじめ決めていた段取りをこういう風に変更して、こんな感じでこうしてああしてとエクスキューズの言葉を矢継ぎ早に投げ掛けるので、緊張でいっぱいいっぱいになっているのは理解できたが、この期に及んでは突き放すしかないと振り切って、お客様を店内に誘導した。

 店内の照明を落とし、スポットひとつだけの灯りを徐々に照らし、ライヴスタート。背中を見せ微動だにしない大導寺シン。背中の向こうで葛藤が渦巻いていたのか、それとも無の境地だったのか。意を決したがごとく振り向くと自作の音楽をセットしながら、淡々とパフォーマンスの手順を説明しはじめる。そしておもむろに始まった。

 リフレインする独特なリズムに乗りながらスポークンワーズする。言葉がリズムを持ち始めると、完全に迷いを振り切った大導寺が爆発しはじめた。初めて乗った波にもかかわらず、その天性で軽くいなして突き進む。マックスの緊張感を孕みながらも、いよいよその熱情が観客まで伝わりはじめるにつれ、言葉も軽快になってゆく。

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 ちいさな世界のちいさな日本の、ちいさな東京のちいさな国分寺詩の、ちいさな古書店の一角で・・・とリフレインされるスポークンワードがじわじわと胸にしみてくる。あの迷いや戸惑いはどこに消え去ったのか。もう、ほぼ落ち着きを取り戻してエンジン全開。スポークンワードのあと、「優美な屍骸」と呼ばれるシュールレアリスムの手法を用いた観客を巻き込むパフォーマンスに移行し、4人の観客にそれぞれ一行の詩を作ってもらいそれをスマホのアプリでミックスし、オリジナルの音楽にかぶせながらリズムを持ったひとつの詩に作り上げて行く。リアルタイムでできあがった詩は、空中を舞って国分寺の夜に溶け込んでいった。

 同じく緊張で固まっていた店主もそのパフォーマンスを見て、ほっとしたのと同時に、やっぱりライヴは違うという思いを新たにしたのだった。そして、やり終えた大導寺シンのすっきりとした表情が印象的であった。

 明日は大導寺に続いてライヴした新田倫平編です。お楽しみに。

 今日の国分寺は曇りのち晴れ。少し二日酔いか。ピンクフロイドの「狂気」で迎えてくれて、クラッシュのTシャツを見て「ロンドンコーリング」をかけてくれて、T-REXをリクエストするとこころよく「メタルグル」をかけてくれたチェリーレッドのマスター、ありがとう。

 今日流れているのはピンクフロイド。「狂気」!
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by yoshizo1961 | 2014-05-25 16:59 | 展覧会情報 | Comments(0)

「サーカス」中原中也

 中原中也。詩人。

 幾時代かがありまして
    茶色い戦争ありました

 幾時代かがありまして 
    冬は疾風吹きました

 幾時代かがありまして
    今夜此処での一と殷盛り
       今夜此処での一と殷盛り

 サーカス小屋は高い梁
    そこに一つのブランコだ
 見えるともないブランコだ

 頭倒さに手を垂れて
    汚れ木綿の屋蓋のもと
 やあーん ゆよーん ゆやゆよん

 それの近くの白い灯が
 安いリボンと息を吐き

 観客様はみな鰯
    咽喉が鳴ります牡蠣殻と
 ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

        屋外は真ッ暗 闇の闇
        夜は劫々と更けまする
        落下傘奴のノスタルヂアと
        ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん


 「サーカス」中原中也 「中原中也詩集」新潮文庫版より

 中原中也も今回の展覧会に参加してたら、どういう展示をしただろうか。イベントでも自分の詩の朗読をして盛り上がってたりして。ご本人のゆあーん ゆよーん ゆやゆよんを聞いてみたい。やっぱ抒情的な詩は心情的に盛り上がるものがあるので(あくまで個人的な思い)、声に出して詠みたいものだ。

 今夜のイベントでは出品作家から、お二人の作家のパフォーマンスを予定している。時間が余り気味なら見に来てくれたお客様に、飛び入りでやってもらっても構わない。というより、それを楽しみにしてたりして。とにもかくにも、どうにかこうにかイベントデーまでこぎつけた。幸い天気も良い。国分寺で一発、花火を打ち上げよう!盛り上がっても、盛り下がっても、今夜の国分寺はまどそら堂ではじけるのだ!(→店主ひとりで盛り上がってます)

 今日の国分寺は晴れ。さあ、準備しなきゃ。皆さん来てね!

 今日流れているのはガンズ&ローゼズ。2枚組の赤い方です。
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by yoshizo1961 | 2014-05-24 15:53 | 詩あれこれ | Comments(0)

「平卍」村野正徳

 村野正徳。アーティスト。「平卍」。美パンチ。

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 今日の国分寺は晴れ。いい天気です。明日はイベントデーです。ご家族、お友達、みんな揃ってお出かけください。お待ちしております。

 今日流れていたのはセックスピストルズ。アナーキー・イン・ザU.K.が鳴り響いていました。いま流れているのはしっとりとした70年代のメロディアスなロック集です。
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by yoshizo1961 | 2014-05-23 16:24 | 展覧会情報 | Comments(0)

「花鳥風月」小谷ふみ

 小谷ふみ。西国分寺育ち。詩人。エッセイスト。

 B4ボードの縦画面を二分割して、模様の入った和ティストの色紙で下地を敷き、その上にひとまわり小さい生成りの紙が貼られている。そうしたボードが2枚で花・鳥・風・月、4点の詩が生成りの画面に印字されている。同じ花鳥風月4点の詩が載った製本版も、ボードの手前に展示されている。

 花鳥風月にまつわる四つの詩。花「理由」、鳥「雨宿り」、風「青と白」、月「秘密」と続く。「やがて森になる」の、いつもの小谷ワールドが展開されているが、今回の作品はエッセイ的エッセンスよりも、「詩」ど真ん中にシフトしているように見える。エッセイ的な言葉の組み立てと、またそれがグラデーションのように詩になっていくのが小谷ふみの作風でもあるのだが、今回の作品は、より言葉に拠った作品という印象を受ける。

 たとえば月「秘密」より(部分抜粋)。

 空には鏡がないから 月の眺める夜空には月がない
 夜道を照らす月が 道に迷ってしまったら
 星明かりだけでは頼りなく 月はうつむいて涙を流す

 そんな時は 雨雲がそっと月の姿を隠すから
 きっと誰もうつむく月を見たことがない

 月の涙は夜の雨となる

 詩的だ。そしてここから続く言葉が小谷ふみなのだ。

 泣いていいよ 泣かないで
 かける言葉はどちらだろう

 風「青と白」ならば、

 胸の中ぎゅっと掴まれた

 ここ。胸の中をぎゅっと、ではなく胸の中ぎゅっと、でなければならない。

 中途半端な引用で作品自体の説明から遠ざかるばかりだが、ともかく日々の出来事と想像がない交ぜとなって、物語性を持った詩が出来上がった。あれこれ言葉を弄してもうまく伝えられないので、お店で作品を手に取ってその世界に触れてほしい。

 小谷ふみの世界を書くにあたって、彼女の作品の通底をなすもの、またはバックボーンになっているものについて考えてみた。そこまで踏み込んで考えないと、作品をなぞるだけになってしまいそうだったから。昨夜、夜中の12時頃に部屋でゴロンとなってそんなことを考えていた時、そのキーワードがふいに浮かんだ。浮かんだ瞬間それは確信に変わった。

 書く側も書かれる側も、そしてそれを読む側も、みな、はにかんでしまうかも知れないが、小谷ふみの底に流れるもの、それは、「愛」なのである。恥ずかしがってはいけない。そこが小谷ふみなのだ。紡ぐ言葉のベースには愛が満ち溢れているのである。

 ちなみにボードにも製本版にも、詩のかたすみにシルエットでできた絵(印)が押されている。シンプルでシャープなかたち。そしてその作者は文野 翳とクレジットされている。ふみのかげ、と読む。やっぱりあの「大きな彼」だった。製本は吉田史織による。こちらも→ふみよむつきひ

 今日の国分寺は雨。久し振りにまともに降ったね。明日は定休日です。また金曜日に。

 今日流れているのはポール・マッカートニー。ベスト盤です。公演中止、残念だった。お大事に。
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by yoshizo1961 | 2014-05-21 17:15 | 展覧会情報 | Comments(0)

「絶望と青空」骨皮 筋

 骨皮 筋。ほねかわすじ、と読む。60年代前半生まれ。(自称)詩人。

 「絶望と青空」。そうきたか、と。今回、作品を出してほしいとお願いしたとき、以前見せていただいていた作品の中からこちらでチョイスさせていただきたいという旨を伝えていたのだが、あにはからんや、新作であった。

 以前の作品も今回の作品も、自己表現の極地、しかもストレートなネガティヴ志向に貫かれている。青空に象徴される明るさは、ネガティヴを表すための対比に過ぎない。今回どんなことでも、どう書いてもいいとお許しを貰っているので、あえて言ってしまおう。詩が、古臭くないか?

 いやいや、けなしているつもりでも、ケンカを売っているわけでもなく、ほんと、詠んだときの感想だ。正直言うと、「絶望と青空」は好きなタイプなのだ。自分で書こうとすれば、真似したくなるくらい。「ああ、青い空が落ちてくる」の、「ああ、」に共鳴してしまう自分の感受性も、古臭いのではあるが。けれども、どこかで感じた心象風景とでも言おうか、デジャヴを感ずる言葉が新鮮味をさらってゆく。古くたっていいのだけれど、そこから突き抜ける言葉に出会いたい。じゃあ、新しい言葉って何だと言われれば答えられないけれども。

 ただがむしゃらに振り回すこの腕の
 生への執着
 この世にとどまるそのわけを
 空に向かって叫んだら
 大粒の雨が降ってきた

 今日も同じ色の雨が降るのに
 雨に濡れたぼろ靴のかたちが思い出せないこのていたらく
 きっとこの雨の向こうには
 とてもしあわせだよ何もいうことないくらいこの青い空

 同世代だからなのか、自分も正統派ネガティヴのためか、骨皮 筋の詩にはシンパシーを感ずる。だからこそたとえば大導寺シンのような、ラディカルなネガティヴさをどう思うのか聞いてみたい。それは年齢の差ではないはず。ずっと詩を書いてきた。あなたはそう言った。だからこれからも読ませてほしい。ずっとね。

 ちなみに骨皮 筋というペンネームは店主がつけた。表に出たくないという、(店主からすれば)意味のわからない理由のため。実は、店主が自分のためにあたためていたペンネームだったが、その場で考えたもう一つとどちらがいいかと聞いたところ、嫌そうな顔でこちらを選んだ。「絶望と青空」は作家本人の意向により、メールで送られてきたものをプリントして、店主がレイアウトした。署名は作家本人のものだが、行のがたがた、ゆがみ、一部分に彩色したのは店主の仕業なので記しておきます。

 今日の国分寺は曇り。明日は雨かな?はー、がんばらねばっ!

 今日流れているのは押尾コータロー。夕方からプログレに変わります。
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by yoshizo1961 | 2014-05-20 16:37 | 展覧会情報 | Comments(0)

「みなさん、さようなら」成瀬みやか

 成瀬みやか。東経大3年生。近々消滅する、21世紀プログラムの学生。

 あはははは
 あはははは
 先生さようなら
 みなさんさようなら

 ・・・って、元も子もないというか、身もふたもないというか。さらっと言ってくれたわりには、何か一物ありそうな始まりだ。後述する「へらずぐち」創刊号表紙のイラストレーション(こちらも成瀬みやか作)からインスパイアされたであろうこの詩のあっけらかんとした失望感は、本当のところは、本人が目指すであろう希望の裏返しのようにも見える。

 希望に満ち溢れて、大きく手を振って歩きたいのにそうさせてくれない社会と自分自身に、ひとこと言っておきたい。それは独りよがりな不満でも愚痴でもない。日々、考えて考えて出した答えが、あっているのか間違っているのかそれが知りたいだけ。多少ひねくれているかも知れないし、物事を斜に見てるところもあるかも知れない。けれども、ただ物事の本質を知りたいだけなのだ・・・・・・っていうのは、彼女の詩を詠んで、勝手に想像を膨らませた感想だ。まったく違うのかも知れないが。

 この詩に触れた方は、この詩は小学生が書いたものだと誤解するので面白い。よく詠めばそんなこともないと理解されるが、ほー、小学生の作品もあるんだねと、みんな言う。何故か?・・・それはお店で。 

 詩の制作以外にも、文章も書き、身体性を持ったパフォーマンスもし、小説も書き、マンガも描く万能型タイプ。大学では教養研究会なるサークル活動もし、「へらずぐち」というマガジンも発行している。まどそら堂の「虎の穴」では中心メンバーとして気焔を吐く。こういった何から何まで表現し倒す逸材にはそうそうお目にかかれないと思うので、興味のある方は「虎の穴」へどうぞ。こちらも→成瀬みやかフェイスブック
 今日の国分寺は晴れ。今日は少しへばり気味、気合いをいれなければ!

 今日流れているのはボブ・ディラン。「HIGHWAY 61 REVISITED」です。
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by yoshizo1961 | 2014-05-19 17:20 | 展覧会情報 | Comments(0)