カテゴリ:虎の穴あれこれ( 48 )

どうせハゲですよ・・・

 最近よく毛が抜けるなあ・・・。毛?そう、毛です、髪の毛。

 秋のこの時期になると急に髪の毛のコシがなくなってきて、ぺたーんとなってしまう。毎年感じることだが秋はやっぱり毛が生え変わる時期なのだろうか?それとも私だけ?いやいや、そんなことないよね。とりあえず今日は、古本と全然関係ない話ですが。

 思えば高校生の頃からいずれハゲるであろうと思っていたので、少しくらい抜けたって同じこと・・・と半分、諦念の境地で自分のあたまについては、やり過ごしてきた。そうはいっても、若い頃は(いや、今だって)、髪の毛のことばかり考えていたかもしれない。考えたところで増えるわけでもないから、考えても仕方ないんだけれど。

 30代の頃はいくらかでも多く見えるようにパーマをかけたりしていたが、40代になってそれもやめた。パーマで髪の毛がダメージを受けて、また抜けるんじゃないかと思うようになったから。パーマをかけていた美容院の店長によれば、私の髪は決して少ないわけではないが、人より細いのだ、と言ってくれた。何だか喜んでいいのかそうでないのかよくわからなかったが、それでも当時はまだ、なんとかギリギリ保っていた気がする。が、今じゃ相当来ている気がする。

 いつしか美容院の店長は先生となり、いまでも髪の毛を切ってくれている。椅子に座るなり、「毛がたくさんあるように見えるカットで!」というお決まりになってしまった私の注文に以前はこうしたらこうだとか、こうしたほうがよいなどと色々アドバイスしてくれていたが、最近はもう取り返しがつかないと見切ったのか、何も言わず前髪あたりのカットに執心しながらも、何とか毛がフワッとするように苦心してくれている。

 そもそも髪の毛の量や髪型が、どれほどのことなのかと思えば思えなくもない。けれども髪型がキメられないために、その日一日憂鬱な女子中学生とか、少しばかりハネてるくらいで大騒ぎする女子高生(いや男子も同じか)、とにかく鏡の前で髪の毛をどうのこうのとチェックしなければ出かけられない私たちというのは、いったいどうしたことだろう。髪の毛よりもっと大事なことはいっぱいあるよね?人生山あり谷ありで考えなきゃいけないことばかりなのに、それでもどこかで髪型の心配をしている私たちって・・・。

 今日もやらなければならないことが山積みで、しかも簡単なことでもないことばかりだというのに、とりあえず鏡の前で、薄いなー、と嘆く自分はまだ余裕があるということなのだろうか。・・・この季節になるといつも思うお話でした。
 
 今日の国分寺は曇り。明日明後日と雨ですな。以前よりお知らせしていた国分寺での一箱古本市の募集要項が西国図書室から出ていますのでお知らせします。うちのお店でも宣伝していた一箱古本市です。早いうちに申し込もう!国分寺ブックタウンプロジェクト・一箱古本市募集

 今日流れているのは10CC。ベスト盤です。
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by yoshizo1961 | 2014-10-20 14:25 | 虎の穴あれこれ | Comments(0)

完全なる自由

 人はどこまで自由になれるのか?というより、そもそも自由ってなんだ?というところが、一昨日の夜の「虎の穴」のテーマであった。

 自由といってもその定義からして難解だ。社会的な自由、自我としての自由、運命に逆らう自由。様々な事例を検証しても自由を定義することは難しいし、虎の穴の数時間で定義ができてしまうわけもない。そこで話は緩やかに脱線し、例えば家族の中での個(子でもいいけど)の葛藤について話が及び、それを自由という観点から紐解けばそれぞれの関わりや思いが浮き彫りになってきたりするが、親と子のすれ違う思いについて話が白熱し、自由になれるのかというテーマからまた少しづつ脱線して行くという展開に。

 脱線するだけならまだしも、どうしてもその時に頭の中で巣食っている問題に引き寄せていきがちな店主の強引さに引きつつも、我慢強く思考する学生メンバーたちのほうがどちらかといえば年上にも見えてくる状況の中、自由には責任を伴う、または覚悟であるといった議論に発展。リバティというよりフリーダムという意味において、責任を持つこと、または覚悟をもって生きること、それが自由への道であるといった展開で話は進む。

 さらに、制約があってこそ自由という概念が生まれる、という視点から議論する。「型」にはまらないことが自由なのか、そもそも「型」がなければ自由は生まれない?のか。まったくの無からは自由は湧き上がって来ないものなのか。アートは自由か?自分の自由を表現したものがアートならば、やはりそこにも「型」があったのか?また、運命論もしくは決定論、業、因果応報に至るまで、もう決まっている未来に対して抗うこと、たとえそれがすでに決まっている道だったとしても、そこを自覚しつつそれでもなおそこを超えて生きること。それこそが自由なのである・・・といった(ニーチェ?が降りてきて参加していたらしい)心を揺さぶる自由へのアプローチをもってして議論がまとまって行く。

 どこまで自由になれるのか、という問い自体が思考のテーマとしてキラキラしてた。だから脱線を繰り返しても面白かった。時間の制約がなければまだずっと話は続いていただろう。今回は「虎の穴」的思考議論大会は大成功だったと思う。次回もこんな感じでいければいいな、と。
 
 次回のテーマは「天地創造」。脱線中にヒョイと出てきた話。世界はどうやってできあがっているのか?宇宙の果てはどうなっているのか?そもそもなんで我らはいるのか?その答えは誰が知っているのか?神様か?・・・宇宙の果てはこうなっていて、こうなんですよ、ほらね、この通り。とか、なんで私たちは存在しているのかって?それはこうだからこうで、だからいるんじゃないですか。っていうように、どうしても知りたかった真実を、セオリー・オブ・エブリシングっていうやつを自分の想像力で明快に答え切るという試みです。自分の妄想、ではありません。世の中の、宇宙の、存在のすべての法則を、怒髪天を衝く虎の穴的想像力でもって論破します(すげー!)。ヲタな話で終わるか、それともノーベル賞ものの理論が生まれるか(笑)楽しみです。

 今回出てきた話ですが、今までの虎の穴ではたまにしか画像や音声、映像などの記録を録っていなかったので、今後そうした記録もちゃんと録って行こうと。それと、会場であるまどそら堂の狭さで参加人数に制限があるこの現状を打破するために、例えばネットでライヴを配信して、ネットからでも参加できる方法も検討しようと。どこまでできるかわかりませんが、そんなことも考えています。また、冗談レベルですが、まどそら堂のCM、ラジオ放送なども検討中(笑)。来月以降の「虎の穴」の告知、情報発信についてはフェイスブックページ(フェイスブックに加入していなくても閲覧できます)のイベントコーナーであらたに独立したページを立ち上げる予定です。こうご期待!

 今日の国分寺は曇り。晴れ。お知らせ:明日は国分寺ブックタウンプロジェクトの第3回目のワークショップに参加するため、終日出張っていますのでブログはお休みです。お店はちゃんと開いてますよ!明日は副店長のお出ましです。よろしく!

 今日流れているのは、10CC。古臭くないねー!

 
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by yoshizo1961 | 2014-09-19 16:53 | 虎の穴あれこれ | Comments(0)

こんな夢をみた

 一昨日、見た夢。

 大海原の上を飛んでいる。羽根があるわけでもないのに、グライダーみたいに緩やかに空を飛んでいる。はるか遠くに海面がある。飛行機くらいの高度をひとりで飛んでいる。

 見えるはずもないのに、海面がクリアに見える。この高さなのに、マクロで眺めているようにディティールまではっきり見える。ああ、おれは死んだのだ、と自覚する。死ぬと、何もかもがこんなにクリアに見えるのだと驚愕する。

 空気の粒子さえ見える気がする。はるか眼下の海に落ちれば、柔らかな海にのみ込まれてまた死ぬかもしれない。けれどもこの高さから落下すれば、海の表面は相当固くて、落ちるというよりぶつかるという感じなんだろうなあと、夢の中で冷静に考える。

 地球に海があって、その上に大気がある。空を飛んでいるおれはその空気をかき分けて浮かんでいるわけだ。海は空気よりも密で、触れるけれど実体感が無い。相転移して氷に変われば塊としての実体感が生まれるが、水のままだとすくってもこぼれてしまう。

 考えてみればこの海の水も、空気も以前はおれの体に取り込まれて、栄養分を搾り取り生きていたわけだ。体に必要なミネラルやビタミン、たんぱく質などの栄養は、すなわち地球のどこかで生まれた、またはもともとあったものであって、そう考えれば地球の一部を体に取り込んで、排せつするという行為と、顔の周りにある空気を吸い込んで吐き出すという行為が生きるということだったのか、と海面を見下ろしながら思う。

 結局、地球の一部分だったおれは、こうして死んで意識だけになっている。体も感じられるんだけど(夢なんで)、水みたいに実体感がない。もっと遠くからおれを見れば、おれと言う実体は地球と重なって存在しているのかいないのかわからないだろうなと思う。スペースシャトルから見る地球の表面みたいに大地と海と雲は見えるが、おれどころか世界中の生命はおろか建物だってあるのかないのか、まったく見えない。

 意識がにぶってちからを入れ直したら海は自分が生まれた故郷の海に変わっていた。海べりを走る高速道路と海と湖をまたぐ大橋を空から眺めている。いつのまにかその風景は子どもの頃よくトンボをとった爆弾池に変わる。

 あさ、目覚めたらかなりはっきり覚えていて、久し振りのリアルな夢だった。夢の中であれこれ考えて疲れた。クリアに物事を視られれば、これに越したことはないが、まだ死にたくないですな。

 今日の国分寺は曇り。いつ雨が降るのか・・・。昨日お知らせしましたが、今日の営業は5時迄です。明日は通常営業です。「ほろ酔い夜話」ー酒と朗読の宵ーのお知らせをフェイスブックのイベントコーナーで立ち上げましたのでそちらもご覧ください。

 今日流れているのは押尾コータロー。戦メリが入っているアルバムです。
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by yoshizo1961 | 2014-08-23 15:01 | 虎の穴あれこれ | Comments(0)

つかまるものがない

  あづい、あづい。クーラーついてるのに。たとえビニールが下がっていても、ドア開けっ放しじゃ意味ないか・・・。最近、肩の調子が少し良くなってきたと思ったら、今朝からやたらと腰がいたい。今度は腰かよ(泣)。

 いいことなんて、そうそうなくてもやっていけるけれど、ちょっとでもささくれだったことがあると、すぐ落ち込む。理不尽なことなら怒れば済むが、どうしようもないことにはどうにも無力だ。最悪、逃げてしまうという手もあるが、それができないから鬱々となる。いつも思うが、人間は面倒くさい。

 どうすればいいかなんて考えなくてもわかっている筈だ。いつもいつもそうしてきたんだから。向き合うしかないことくらいわかっている。わかっているよ、わかっているけれど。なんか疲れてる。免疫力激減状態。水風呂にでも浸かって、頭を冷やせ。

 考えてみれば、落ち込んでも落ち込まなくても事態は変わらないということだ。笑っていても、口を尖がらせていても。どうせ変わらないのなら笑っていよう。笑えなくてもせめて無口にならずに。

 豆の木にぶら下がって下界を見下ろせば、どこもかしこもみな同じ。そんなに違いはないってことだ。頭が良くても悪くても、お金持ちでも貧乏でも、太っていても痩せていても、結局みんな似たようなもん。生まれて死ぬ。ただそれだけだ。

 生まれてすみません。生きててよかった。どっちかな?

 今日の国分寺は晴れ。暑いよ、ほんと。

 今日流れているのは、王非。香港のベスト盤です。
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by yoshizo1961 | 2014-08-05 15:16 | 虎の穴あれこれ | Comments(0)

なんだかよくわからない

 肩の痛みは、揉み解せば多少軽くなるということを知らなかった。同じように思考も揉み解せば、凝り固まった観念から多少は解き放たれるものだろうか。

 丹念に肩を揉んでもらったら、張り付いたまま動かなかった筋が多少ゆるくなった。丹念に思考すれば、脳の裏側にへばりついたままの観念の癒着がゆるくなるものだろうか。

 思う通りに動かない両肩を、ストレッチを続けることで、今までのように動かせることができるようになればいいが、こまめに思考を重ねれば、ランダムに浮かぶ思考を順序立てて組み上げていく能力が甦ってくるだろうか。

 電車の中で、窓外の風景を見るともなしに目で追いながら、そんなことを考える。いま読んでいる本の続きを読むか、思考を続けるか、目を閉じて眠ってしまうか。思考しながら今日のスケジュールと、いま抱えている問題を同時に思い描く。あれをしてこれをして、あれはどうしたらいいのか、これはどうなるのか、いや、どうなってしまうのかなどと思い描くのと同時に、肩のストレッチと、何で人はいるんだろうか(生きてるんだろうか)などという青臭いことを考える。

 一駅過ぎた。本の続きを読むのは諦めた。人は死ぬけど、死んだら三途の川を渡って、あの世へ行くのだろうか。骨皮筋さんの詩の一節に・・・三途の河原でバーベキュー・・・という言葉があったが、三途の川原のそばに薪とか炭とか、はたまた着火剤とか売ってる店があったら笑える・・・とか考える。それにしても、この世は生きている人しかいないんだ、と気付く。死んでしまった人はこの世にはいないじゃないか。地球上には生きている人しかいない!(人間限定での話ですが)

 二駅過ぎた。お店開けたら、まず連絡の電話を入れなければ。その前に忘れないようにメモ。Suicaをチャージ、ああ、あれ忘れた。少し眠気が襲う。目を閉じる。いやいや、眠ってはだめだ。意識が無いときには世界はあるのかな?まだ生きてる・・・。そうか、生きてる人しかいないんだな、地球には。誰も死んでいないとも考えられる?死んでしまったらもういないじゃないか。

 気が付いたらウトウトしてた。三つめの駅も過ぎて国分寺。とぼとぼ歩く。ぼーっとしている。思考停止。交差点を曲がってalvaを覗く。ミシンに向かっているご主人の背中が見える。そのまま道路を渡りお店のまえで鍵を取り出す。もたもたしているとバスが来て停車してしまう。乗らないよサインを出す。

 今日は日曜日。肩のストレッチをしながら、あれやこれや考えよう。雨降りませんように。何だかよくわからない、そんな日もありますな。

 今日の国分寺は曇り。風が強いですな。

 今日流れているのはブライアン・イーノ。静かでいいのー。
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by yoshizo1961 | 2014-07-13 15:52 | 虎の穴あれこれ | Comments(0)

続・哀しみのランナーと無常のブースター

  昨日から続き。「虎の穴」報告。

 大導寺が見てきたという、ジャン・フォートリエ展の話からなんとなく始まった。大雑把にいえば、アンフォルメルの絵の具盛り上がり感から、その時代における絵画の捉え方といま現在との齟齬について、など。その後、本題に。今回のテーマは「ランナー、またはブースター」であるが、多少説明を。
 
 少年が手掛ける彫刻的プラモ制作で、捨てられることもなく大量に保存されていたランナー(プラモデルのパーツをとめている枠。パーツをとったら用済みとなる)をどう料理するかといった話から派生して、必要であっても用が済めば捨てられてしまうもの、それがなければ成り立たないのに簡単に捨てられていく、例えばロケットの燃料ブースターのようなものを広義に捉えて考察してみようというのが、今回のテーマ。

 大量に残っているランナーを使って何か造れないかという問いに、ドーナツの穴みたいなものはどうかとか、切り抜かれた人型はどうかなどという話から始まって、右往左往しながら話は進む。そして、ランナーやブースターのようなものを突き詰めて考えて行くと、結局DNAまで行きついてしまった。魂が主ならば、身体はランナーにすぎない。子が主なら親はランナーにすぎない。そうして続いていく。進化のなかで捉えれば、優性が生き残り、劣性は淘汰される。自分が淘汰されるものならば、それはランナーであり、ブースターであると言えるだろう。生き残ることが目的ならば、我々は甘んじてランナーにならなければならない。というより生きとし生けるものすべてはランナーなのではないか?もし生き残れるならば、それは終わりを意味する。完結するからだ。パーツは組み上げられて、ひとつのかたちを持ち完結する。プラモデルは完成するのだ。

 終わるために捨てられていく。終わりがいつ来るのかも知らないし、終わるのかもわからないが。完結する未来のために捨てられていく哀しいランナー。いやいや、そういう解釈もありだが、ランナーというのは、金型でパーツと共に造られた回路、または血管なのではないだろうかという考察も。確かに回路のようであり、パーツに命を注ぐ血管でもある気がしてくる。が、しかしさらにそのための金型自体は、まさにブースターではないか。

 しかし、お面つけてると息苦しい。わりといい話をしてるなーという時もどこかリアル感に欠けるし。というより、変すぎる!というわけでお面タイム終了。お面をはずしても、話は続く。

話は逸れていくが(または本質に近づくのか)、必要ないものと必要なものとはそもそも何だという展開から、例えば無人島で一人だとして、まずは食べるものが一番必要だが、小動物を捕まえようとして、草を縛って作った罠だとか、掘った穴だとかそういった創造を伴う文化的行為はひとにとって必要なものなんじゃないのか、という話に。食欲と等価なものなのか,二次的なものなのか。創造という文化的なものは、食欲と同じくらい必要なものなのか(いや、そうであってほしい)。また、もう必要でないもの、いらないもの、無駄なもの、そんなものこそ美しいのは何故なのか、とか。リンゴ・スターはブースターか?白絵の具は?はたまたブッダやらニルヴァーナやらそんな話に脱線しながら、無常のブースターたちの夜は更けてゆく。

 今回の「虎の穴」は、話が込み入りすぎて(シンプルともいえるが)、暑さでやられた店主のあたまではうまくまとめられなかった。時間をおくとすっきり見えてくることもあるので、それまで寝かせておこう。参加者からの投稿があれば、それも併せて提示したいとも思う。

 次回の「虎の穴」のテーマは「本」。あらゆる視点でもって本を捉えよう、という企画です。日時は現時点では未定ですが、メンバーのスケジュール等すり合わせの後に発表いたします。どうぞ、どしどしご参加ください。

 今日の国分寺は晴れ。土曜日ですな。

 今日流れているのはクラフトワーク。「TRANS EUROPE EXPRESS」です。
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by yoshizo1961 | 2014-07-12 15:27 | 虎の穴あれこれ | Comments(0)

哀しみのランナーと無常のブースター

 一昨日の夜は、「虎の穴」であった。

 台風前の雨と風が、容赦なくドアを震わせる。雨風が生み出す冷たい音だけがお店を支配する。今夜は一筋縄では行かぬ予感が、店主の胸に広がりはじめる。この雨と風が何かを伝えようとしているに違いない・・・と一人でハードボイルド風に浸っていたさなか、どーもー!と元気な声で少年が現われた。ちなみに「少年」というのは、とっくに成人しているのに「少年」と呼ばれる新メンバーのことである。

 時計を見れば、まだ閉店時間まで30分もある。虎の穴は閉店後からであるから、気合い入ってるねーと言ったら、準備が大変なんですよー、とお面を装着しはじめる。今夜はお面着用で虎の穴をすることになっていたのではあるが、少年のつけようとしているお面は千と千尋の神隠しに出てきたかおなし風で、相当、手間と気持ちが入ったお面であった。が、まだ営業時間中であったから、お面をつけて店内をフラフラされたらお客様も逃げていく。おいおい、お面のままでフラフラすんなー、と言っても、わはははははーと笑うばかり・・・。まあ、こんな天気じゃ誰も来ないけどねと自虐的に笑っていると、いつの間にか大導寺シンも現れた。

 今日はNさんは来ないのかなぁと言いながら、連絡が回っていなかった手落ちを感じながら準備を始める。大導寺シンが現われるなり、レポートがどうのこうのと一生懸命語りだしたが、メガネに装着する仕様になっている自分のお面装着に気を取られて何を言っているのかわからなかった。いつの間にやら大導寺も紙袋でできた息苦しそうなお面を装着し、何故か白衣まで着てスタンバっていた。

 二人に相対するかたちで座っていたが、その異様さに、うーん、と唸ってからお面をはずして雨と風が吹き付ける外に飛び出して、ドアの窓ガラス越しに中を覗いてみた。こ、これは・・・。もう準備中の看板に差し替えているから、お客様は入って来ないと思うが、バス待ちの人たちが覗いたらこの異様さをどう思うだろうかと想像してしまう。窓の向こうには、どう考えても現実感のないシュールな場が立ちあらわれているではないか。

 こ、これこそが、「虎の穴」にふさわしい場に違いない、と一人で納得して着席。再びお面を装着して、お菓子食べな、コーヒー飲みなと促しても、の、飲めない・・・とお面をしたまま固まっているのであった。一応お茶タイムははずしていいことにして、軽くお腹に入れたあとまた装着。とりあえず写真でも撮っておくかとカメラを向ければ、お面で多少人格が変容したのか、いつもならもじもじするのに、大胆なポーズも平気でする二人なのであった。そんなことをしながらドアの窓から外を見れば、店内を2度見するバス待ちの人と目があったりして、しかもすぐ目をそらされたりしながら、「虎の穴」の夜がはじまるのであった(前ふりが長くなっちゃったので、本編はまた明日)。

 今日の国分寺は晴れ。というか、激暑。「雨降れば人は来ず、暑ければなお来ない」。

 今日流れているのはシュガーキューブス。なんだか懐かしい。
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by yoshizo1961 | 2014-07-11 15:18 | 虎の穴あれこれ | Comments(0)

理解できないこともある

 昨日「虎の穴」について書いたが、「虎の穴」のスキルをもってしても理解不能なことが世の中にはたくさん存在する。今日はそんな話。

 身近なところではタバコのポイ捨て。お店の前はバス停だから、いまどき不謹慎なポイ捨てをやらかす人間も少なからずいらっしゃる。タバコを喫うなと言う気はさらさら無い。喫うのも喫わないのも当人の自由だ。バス待ちのあいだ、どうしても喫ってしまうのは解らないでもない。何故なら自分もはるか以前には喫煙者だったから。だからポイ捨ても平気でやっていた。当時はポケット灰皿なんてなかったし、タバコは道に捨てるものだと思っていた。これこそ若気の至り、いや、分別のない人間そのものだが、お店に来るとまず玄関まえの掃除をするときにタバコの吸い殻を拾う。自分がポイ捨てした本数を、いま拾わされているのだと思えば腹も立たない。が、お店の脇に置いてある鉢植え(松葉ボタン系の花が咲いている)に、喫い差しが投げ込まれていた時にはさすがにはらわたが煮えくり返る思いがした。ふつう、咲いている花の上にタバコの吸い差しを捨てるか?バスが来て、慌てて消さずに捨てたのだろう。けれどもあまりにたちが悪い。

 最近の社会の中でも理解不能なことは、あの都議会の低俗なヤジだ。議会や論議の場でヤジまがいの言葉が出るのは必然の理ではある。けれどもそのヤジの、たちの悪さで論議も台無しになってしまう。そもそも人が人を傷つけるような行為は、ぶっ叩くとか刃物で切り付けるとかそんなことをすればすぐに逮捕されるのに、言葉の暴力ではなぜうやむやのままなのだ?というより、世の中には差別したり、見下したり、いじめたりする人間が必ずいるのは何故なのだ?人間の奥深いところにあるDNAなのだろうか?業?

 そりゃあ、さっきのポイ捨てみたいに無自覚に分別の無い生き方をしてきた自分が言える立場じゃないかもしれない。知らずに平気な顔で人を傷つけていたこともあるだろう。けれども、火がついたままのタバコを、咲いている花の上に捨てることができる人間と、人の根源を平気で揶揄することができる人間は、どちらも同じレベルの低さであっても、それが同じ土の上で生活する、同じ人間なのだということが悲しい。

 世の中には、納得も、理解できないこともある。「虎の穴」でもお手上げですな。

 今日の国分寺は晴れ。今のところ。

 今日流れているのはサイモン&ガーファンクル。「明日にかける橋」が、大音量でかかっています。
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by yoshizo1961 | 2014-06-30 14:55 | 虎の穴あれこれ

宣伝「虎の穴」

 皆さんご存知の「虎の穴」は、様々な事象、事柄、それらにまつわる言葉などを考察して何かを見出そうとする会である。答えが見つかろうが見つかるまいが、「考える」という行為が大事なので、それぞれの小さな脳味噌を振り絞って、言葉を突き合わせるわけである。

 ブルース・リーは映画の中で「Don't think! Fee~l!!」と言ったが、「虎の穴」の「考える」にはこの「Feel」も含まれている。言葉で表せないと思えば別の表現手段を使うし、考えが及ばない事柄にも感受性を振り絞って「考える」のだ。考えるな!と言われれば、考えないことすら考える会なのである。

 しかし、そう言っている本人は、感受性こそ命、グタグタ考えずに感じたままの感性だけで表現すべし!という立場で作品を作ってきた。「思考」を戦略にしてコンセプト重視の理論武装した作家やその作品を認めず、人間本来の表現欲求に忠実なピュアな作品こそよしとした。どこかで見たよといった類型的な作品(剽窃なんて論外)も興味なし、コネで渡り歩くことも嫌い、オリジナル作品至上主義を旨とした。

 その立場で、物事を突き詰めて「考える」ことが大事なのであると考えるようになったのは、何故なのか。若い頃は分別もなく感性のみで生きてきて、歳をとったら感性は鈍り体力は激減。少ない脳細胞を活性化するには「考える」ことくらいしかないのであった。

 「考える」といっても哲学的命題を思索するといった高尚なものではなく、ただ意識的に考えてみるといった程度だが、ワカモノ達にまじってそんな時間を持てるという「虎の穴」は老化防止にも役立つというもの。皆さんもぜひご参加ください。次回は7月9日(水)の19:00からです。テーマは「ランナー、ブースター」。次回に限りドレスコードがあります(お面着用のこと)。詳細は前回の虎の穴報告を。≪カテゴリ≫から虎の穴あれこれに入ってください。今日は「虎の穴」の宣伝でした(参加料がかかります/一般:500円 学生:ドネーション コーヒー、お茶菓子つき)。

 今日の国分寺は晴れ、曇り、土砂降り。夕方はどうかな?

 今日流れているのはエレクトリック・ライト・オーケストラ。「テレフォン・ライン」が懐かしい。
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by yoshizo1961 | 2014-06-29 16:19 | 虎の穴あれこれ | Comments(0)

大導寺シンの音楽夜話

  6月25日(水)の晩、久し振りに「虎の穴」が開催された。今日はその経過報告。

 今回は学生2名と店主の3人。学生の一人はパンク詩人の大導寺シン。もう一人はM.A.T.なるサークル活動を繰り広げ、成年ではあっても「少年」と呼ばれる学生。今回は中心メンバーの一人が都合で不参加のため、男3名による「虎の穴」となった。

 まずは、「問う今日と、国分寺詩」展におけるイベントでの大導寺シンの作品「優美な屍骸」についての追想戦。作品の評価、検証というより後日再制作された映像作品と、新たに制作されYouTubeにアップされている新作の映像についての考察から始まった。大導寺本人がメイキングを語り、他の2名がその詳細についてインタビューするというかたちで進行。映像表現の話から、大導寺の本筋であるパンキッシュなロック系ミュージックの話に移行。スクリレックスに象徴されるダブステップ系といってもよくわからないが、そっち系のしかも亜流の本道(?)を標榜する大導寺の音楽は、いまだカテゴライズされ得ないオリジナルを目指していると思われる。テクニックじゃなくてマインドだという某パンクバンドの教えを胸に、詩作とミュージックの二本立て、そしてその融合を目指す。表現欲求の源は、自らのコンプレックスから来ると公言するが、その表情は、コンプレックスを既にねじ伏せる術を手中にし得た自信あふれる若者の顔であった。結局、今回の「虎の穴」は“大導寺シンの音楽夜話”となった。

その後、ビジュアル系バンドの話から、音楽そのものより、見た目やポリシー重視に偏ったバンドたちの、食玩のような存在感を面白がる感性について話が及び、そこから「お面」について考察へ。そこから次回の「虎の穴」では各自制作したお面をつけて参加するという展開に。ただし、「お面」についての考察ではなく、まったく別のテーマを、お面をつけて考察するということ。その回は動画でも記録することとなった。

 次回のテーマは、「少年」のプラモデル作りの話からヒントを得て、プラモデルの構成要素である《ランナー》(切り離すこと前提のプラモデルのパーツの外枠のこと)と、ロケットの《ブースター》両者に共通する”用済み“という概念について考察することとなった。それがなければ成り立たないのに、しかしいずれ捨てられるという前提にあるもの、その言葉について。

 というわけで、次回の「虎の穴」のドレスコードは「お面」です。テーマは「ランナー、ブースター」。7月9日(水)19:00~を予定しております。どしどしご参加ください。
映像は大導寺シンの新作です(音楽は以前に制作されたもの。イベントでも本人のパフォーマンスのオープニングで流されていました)。

 今日の国分寺は曇り。雨もふるのかな?

 今日流れているのはトム・ウェイツ。「マーサ」が入っているアルバムです。



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by yoshizo1961 | 2014-06-27 13:57 | 虎の穴あれこれ | Comments(0)