カテゴリ:美術あれこれ( 36 )

電球あってのボルタンスキー

 昨日の定休日は副店長と共に目黒の庭園美術館まで出かけて、クリスチャン・ボルタンスキーの展覧会を観たのだった。

 今日と同じく生あたたかい風が吹く昨日であった。なんだかすごく久し振りに目黒駅に降り立った。ウン十年前、サラリーマン時代に目黒まで毎日通っていたので割と知っているつもりだったが、すっかり変わってしまってよくわからないのだった。

 駅を出てテケテケ歩いて庭園美術館へ。夜だと言っていたのに割と強めの雨が降りだす。濡れていい感じの庭園。なにはともあれボルタンスキー。好きな現代美術家なのである。

 クリスチャン・ボルタンスキーはフランスのアーティストで、映像や写真と白熱電球を組み合わせたインスタレーションの作品を発表してきた人。以前から、何とも静謐で生と死を感じさせるその作品に魅かれていたので、庭園美術館のあの建物の中でどんな感じになっているのかと楽しみにして出かけたというわけであった。

 新作なのであろう音声だけの作品は、荘厳なアール・デコの部屋の中でなんだか不思議なことになっていた。どうなのかとは思ったが、この場所ではこういった表現でしかできなかったのかなとも思う。影絵の作品はボルタンスキーっぽくてすごくよかった。画像とかないのでこんな感じですとお伝えできないのが残念。ま、リアルで見るのがいちばんなので行ってみてください。風鈴の映像作品についても同じくすごくいい。まどろんでしまう。

 ボルタンスキーの作品からは、重たいものが内包されているのはもちろん伝わってくるので、きれいだねーとかいいねーとかでは言い表せないのだけれども、それでもなおかつボルタンスキーに魅かれるのは、やっぱあの白熱電球だろう。

 もちろんそれが単純な見方でしかないということはよくわかって言っているんだけれど、即物的なインパクトであってもやはり白熱電球あってのボルタンスキーなのだと思ってしまう。ていうかあの光はボルタンスキーの作品の核なんだと思う・・・。

 作品を見終わって、雨が止んだ庭園を歩く。モミジの落ち葉がきれいすぎる。ボルタンスキーと落ち葉か。いい展覧会であった。25日の日曜日までです。

 今日の国分寺は晴れ。あたたかいんだけど。

 今日流れているのは、パリ、テキサス。
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by yoshizo1961 | 2016-12-23 14:39 | 美術あれこれ | Comments(0)

今日はアーカイブス4

 今日はアーカイブスです。


『センター街で号泣 』2014.1.8


 篠原有司男というアーティストを知っていますか?

 正月休みに、渋谷へ映画を観に出かけた。映画を劇場で観るのは久し振り。観た映画は、「キューティー&ボクサー」。アーティスト篠原有司男と妻・乃り子のニューヨーク生活40年のドキュメンタリー。これを観て、はからずも泣けてしまったのだ。

 篠原有司男を知ったのは学生時代だ。当時、神保町で美術手帖のバックナンバーを買い漁っていた頃(まだその頃は、美術手帖の古い号も二束三文で売られていた)で、60年代の美術手帖では篠原有司男は大スターだった。ネオダダと称し、日本に於ける現代美術の最先端を走っている人であった。その絶頂期に、美術出版社から「前衛への道」という本を出しているが、この本を古本屋で見つけて買った頃から、ギュウちゃん(篠原有司男の愛称)のファンになった。

 ギュウちゃんは既に渡米して、ニューヨークのアートシーンで孤軍奮闘していたが、河原温や荒川修作のようにはいかなかったらしく、評価されずに貧窮に喘いでいたようだ。そのあたりの状況も日本には時折伝わってきて、それでも、いばって作品を作っているギュウちゃんは、自虐風ではあってもかっこよかったのである。アンフォルメルの影響で始めたボクシングペインティングが有名だが、バイク彫刻と呼ばれる、オートバイを模した一連のダンボール製の彫刻には多大な影響を受けた。かならず後世に残る作品だと思う。

 そんなギュウちゃんに(15年程前のことだが)、偶然、遭遇した。銀座のとあるギャラリーの前で。思わず「ギュウちゃん!」と叫んだ。ギュウちゃん、と呼ばれたことに好感を持ってくれたのかはわからないけれども、快くサインをしてくれて、おまけに似顔絵まで描いてくれた。妻の乃り子さんの個展のために帰国していたらしかった。

 見た目は何処にでもいそうなおじさんだったけれど、いまや80歳を越えて、さすがにおじいさんになってきた。そんなギュウちゃんと乃り子さんの映画が、渋谷でかかっていると聞いて、これは行かねばならないと出張ってきたわけである。

 久し振りにきた渋谷は、ほとんど香港のゴーズウェィベイのようで、国分寺のゆるさに慣れた体にはきつく感じてしまう。人に、あたるという感じか。腹ごしらえのために食べた香港風釜飯が思った以上に脂こくって、映画館の席に座った頃には胃がムカムカしてきたが、映画が始まるとそれもすぐに忘れた。

 映画の中の二人に引き込まれた。ギュウちゃんは相変わらずエネルギッシュだが、よる年波には逆らえずどこかよろめく足取りが痛ましく、乃り子さんの言葉もリアルに胸に響く。アートを志した者なら、静かに観てはいられないだろうと思う。3500ドルの金を稼ぐ為に、バイク彫刻をかばんに無理やり詰め込んで日本に行き、なんとか売って現金を乃り子さんに渡すシーンのいじましさはなんとも言えない。ギュウちゃんのショーの一部屋で、乃り子さんが描く二人の成り立ちの絵が、意外にもギュウちゃんの作品を食ってしまうくらい出来が良くて驚いたが、乃り子さんがギュウちゃんに自慢げに語りかけるシーンでは、理由もなく泣けた。身につまされる思いを感じて、どうしても泣けてしまったのだった。

 映画の余韻を感じながら駅まで歩く。どこか現実感のない渋谷のセンター街の途中で、無性にこみ上げてきて、立ち止まって嗚咽した。本道を逸れずに生きていれば、多少の生きにくさなど、どれほどのことも無い。そういうことなのだろう。

 ちなみに古本屋で買った「前衛への道」は学生時代、同級生に貸したまま返って来ない。もう借りたことすら忘れているのだろう。絶対読んでないと思うが、万が一これを読んだら速攻で返して、H君!


 今日の国分寺は曇り。今日はちびまどにおります。お店は副店長。

 今日流れているのは、ビートルズです。
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by yoshizo1961 | 2016-09-12 14:19 | 美術あれこれ | Comments(0)

シンプル・シモンの夜

 一昨日の水曜日の夜、閉店時間すぐに店を閉めて、副店長とともに阿佐ヶ谷にあるミニシアターに。20:30~上映の「シンプル・シモン」を観に。

 ミニシアターは、ユジク阿佐ヶ谷。阿佐ヶ谷駅北口から3分くらい。阿佐ヶ谷はいいですなー、こんないい感じの映画館はあるし、呑み屋もいっぱいある(笑)。生活するのも楽しそう。国分寺にもこんな感じのミニシアターがあればなぁ・・・。

 ま、とにかく「シンプル・シモン」。スウェーデンのラブコメディ。いかったです!アスペルガー症候群の主人公とその兄、そしてその恋人と・・・。重そうなようであっけらかんとしてる。アスペルガーゆえにおこる悲喜劇と主人公シモンの世界観の誠実さと。そして彼を取り巻く人々の視線。みんなやさしさに溢れてしかし特別なわけでもなく。観た後で時間が経てばたつほど味わいが広がってとりこになりそう。

 そんですごかったのは、全編に流れるスウェディッシュ・ポップ!いい感じの曲ばかりでしかも映画にピッタリ(あたりまえか)!家、部屋、壁紙、家具、皿、何もかも北欧なデザインで(これもあたりまえか)、こちらもいい感じなんですよ。

 上映が終わって10時をまわった阿佐ヶ谷から、また中央線に乗って帰った来た。電車内ではシモンみたいに宇宙にただよってボーっとしてました。「シンプル・シモン」はなんと今夜の回が最終。ユジク阿佐ヶ谷で夜8時半からだよ!夏のおすすめ北欧映画でした。

 今日の国分寺は晴れ。まだまだ暑い。

 今日流れているのは、ブラック・クロウズです。
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by yoshizo1961 | 2016-08-26 14:39 | 美術あれこれ | Comments(0)

今日はアーカイブス3

 今日はアーカイブスです。

 
『ジャック・ワイルドみたいに』 2014/6/23


 今日は映画の話。1971年に公開されたアラン・パーカー監督のデビュー作「小さな恋のメロディ」について。

 この映画を初めて観たのは公開から6~7年後。高校生の時、田舎の名画座で。それからテレビ放送で観たりビデオで観たりで、もう何度もくり返して観てる。何がそんなにいいのかと自分でも思うほど観たけれども、忘れたころに、また観たくなる。日本では大ヒットした映画だけど、本国のイギリスではそれほどでもなかったらしい。

 初めてまともに見たイギリスの風景と生活。ヒルトンの「チップス先生さようなら」で頭の中に出来上がっていたイギリスの学校のイメージもそのまま。こてこての日本的生活とは何もかもがまるで違っていて、ある意味ではカルチャーショックめいたものも感じたりした。食の風景もまるで違ったなぁ。昼飯に家族でハム(生ハム?)だけをお皿で食べているシーンは、えー、これだけ?って感じだったが、それがおいしそうでたまらなかった。主人公の一人であるダニエル(マーク・レスター)は中産階級の家の息子で、もう一人の主人公のメロディ(トレイシー・ハイド)は労働者階級の家の娘だったが、労働者階級でどちらかといえば貧しい家であっても、大きなテーブルで家族みんなで大きな生ハムをナイフとフォークで食べるシーンは、ちゃぶ台でたまごかけごはんが定番のイメージの自分にとっては、超リッチな感じがしたもんだ。

 脇役ではあったが、存在感で二人の主人公をも食っていたオーンショー(ジャック・ワイルド)も労働者階級の家の子で、しかも貧しい家の子という設定であったが、彼が食べる昼飯にしてもオーブンに無造作に投げ入れたなんだかわからない食べ物であっても、たまごかけごはんよりおしゃれでおいしそうだった。

 そもそもこの映画はそういった社会の構造とか、権威と、旧態依然とした教育の現場を下敷きに、なぜもっと自由にものごとを感じてはいけないのか?というテーマを「恋」というかたちにして描いたものだが、高校生の時に観た印象は、トレイシー・ハイドが可愛いいとかジャック・ワイルドがかっこいいとかそんなこと。そしてメルヘンな恋の行方に気を取られて、あの二人はどこへ行っちゃったのかなー、などと思っていただけだった。けれども何度も観るうちに映画そのものの深みにハマっていった。

 もし自分で映画を撮るなら、この映画の影響は多分に出ることだろう。ビージーズの曲と映像がマッチアップするあの感じとか、ジャック・ワイルド的立ち位置の配役とか。それに絶対なのは、この映画のラストシーンのように、だんだん上空にカメラが引いて行って風景に溶け込む終わり方!もうほとんど頭の中では出来上がっちゃってる(笑)。

 当時はジャック・ワイルドみたいにちょっと斜にかまえた奴がかっこよく見えたが、それはいまでも変わらない。ジャック・ワイルドはもうこの世にはいないが、ああいう感じの役者さんで映画を作ってみたいもんだ(作れればいいなーという想像の話だけど)。まだ観たことないというアナタ、いますぐTSUTAYAへGO!

 今日の国分寺は晴れ。台風一過で猛烈な暑さ。明日は定休日です。また金曜日に。

 今日流れているのは、REMです。
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by yoshizo1961 | 2016-08-17 15:13 | 美術あれこれ | Comments(0)

フランク・ステラふたたび

 先日、副店長が佐倉の一箱古本市に行った際、同じ佐倉にある川村記念美術館に寄り、フランク・ステラの作品を見てきたという。フランク・ステラはアメリカの現代美術家で、いまや巨匠となってしまった人。

 自分に影響を与えてくれた人でもあり、ステラときけば捨ておくことことはできず、またまたステラの作品について思いをめぐらせてしまうのだった。ステラのレリーフは絵画なのか彫刻なのかと、自分の作品でもないのに悩んでいたっけなー。ま、今となっては悩むようなことでもないと思う。絵画だろうが彫刻だろうがどっちでもよくてステラはそのままステラなのであった。

 それでもやっぱレリーフは絵画だと思う(笑)。いや、彫刻も絵画だと。彫刻というから混乱するなら、立体でもいいかな。立体でも絵画だと。ステラは絵画だと思う。

 余分なものがないというか、絵画の要素しかない。ステラの別の何かがあのレリーフ(たとえばインディアンバードシリーズ)にあったら、またちがう広がりを持ったんだろうとは思う。たとえばステラの個人的な記憶や思い入れなどを表象化してそれも作品にぶちこんでいたら・・・。

 雲形定規のフォルムがそれだといえば言えなくもないが、もっと違う泥臭い何か。絵画とは違う何かがあったらもっと深くなる?

 年月を経てステラを見たときそう思った。絵画以外の要素が欲しくなったのは、ステラの作品にそのあたりがあればというより、年月を経た自分自身がそのあたりを欲っするようになったのだと思う。言っていることがよくわからないと思うけど(笑)。

 なんだか俺はステラになりたかった?いやいや巨匠とかっていう意味ではなく、ステラの絵画にはまりたかったんだよね。はまってはいたけど、その奥のまた奥の深層まではまりたかったのかもしれない。佐倉まで行きますかね(笑)。

 今日の国分寺は雨。今は降ってない。明日は木曜日なのでお休みです。また金曜日!

 今日流れているのは、フランク・ステラではなく、フランク・ポール。
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by yoshizo1961 | 2016-06-22 14:51 | 美術あれこれ | Comments(0)

佐々木マキはすごかった

 いま、練馬区の上井草にあるちひろ美術館で「村上春樹とイラストレーター」という展示をやっていて、昨日の定休日に副店長を連れて行ってみた。

 ちひろ美術館は言わずと知れたあのいわさきちひろの個人美術館なんだが、こじんまりとしているように見えるんだけれども、そのわりに実は大きくてなんだかホッとする空間なのである。いつもは、いわさきちひろの絵だけなんだけれど、こうした企画展のときはどどーんと入れ替えてやるわけですね。それでも常設のままのそのまま保存されているちひろの制作の部屋とか、箱庭みたいなかわいい庭があったりと、いい感じの美術館。

 そこであの村上春樹の著作を彩ったイラストレーターさんの仕事を紹介してるわけです。村上春樹のデビュー三部作といえばあの佐々木マキの表紙絵があたまに浮かぶように、佐々木マキのイラストレーションはインパクトがあったわけです。ていうか、インパクトというより、ああ、村上春樹の本だなと認識するほどにマーキングされてしまっているわけです。

 青林堂から出ていた佐々木マキの作品集(マンガの)が以前お店にあったんだけど、もう売れてしまっているので、いま佐々木マキを見ようとすると絵本か村上本かということに。日頃目にしているので、原画の確認程度の感覚で観に行ったら、な、なんと本物はすごかった!

「風の歌を聴け」の表紙イラストレーションを見て、えー、と。あの表紙絵はフラットな印象だったのに、原画はすごく立体的で紙を切り貼りしてるのかと思うくらいにテクスチャーがありありでした。よっく見ると、マスキングできっちり色面を作り、厚塗りのグァッシュで、マットではあるけれどごつごつ感があるというか。

 なんだか洗練されたさらっとしたイラストレーションだと思っていたので、原画のリアリティは印刷での印象をはるかに凌駕していたのでした。ま、本物みたらすごくかっこよかったというわけです。他に安西水丸もよかったです。

 今日の国分寺は晴れ。暑い!

 今日流れているのは、ブライアン・イーノです。
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by yoshizo1961 | 2016-06-17 16:32 | 美術あれこれ | Comments(0)

デザインとは?

 いやいや、デザインについて語るつもりはありません(笑)。あのエンブレムのデザインの話。

 あの4つのデザインの中だったら最後の朝顔のデザインですかね。あれで決まると思います(勝手な想像ですけど)。とはいえあの朝顔が傑出しているかといえばそうでもない気もするし。風神・雷神はそれでも人をイメージできるけど、あまりにもフツー。隣のまるっこいやつはサッカーのワールドカップっぽいし、市松のはやっぱ色が欲しいし。 

 もー、言うだけならどれだけでも言えるんだけれど、かやの外で何やかんやというのはしょうもないことかもしれないとはわかっているけれどもちっとは言いたくなるというか、これがいい、あれがいいくらいは言ってもいいですかね。

 ほんと誰もがスゲーと言ってしまうくらいのデザイン力を持ったものがまったく出てこない理由は何なのだろうか?結局のところ、無難なものというか平明なものというか、そんな差しさわりの無いものばかり集めてどうしたものなの?的デザインがいいんでしょうかね?

 決めて使ってしまえば、時間が経つうちに認識されてきて、ああやっぱこれが最適だったんだな結果的にはっていう話になっていくのがノーマルパターンなんだけども。朝顔に決まってああ日本的だねーってことでいつのまにかなじんでくるのかもね。

 けれどもけれども、さすがデザイナー!と言いたくなるようなデザインにお目にかかりたいもんだよ。ま、正直なところ俺がデザインしてたらこんなもんじゃなくて一発で決まって国民もみんな納得!なんだけどなー(笑)・・・ってこれ言ってんのは僕じゃなくて、街中のデザイナーさんだったりして。それはそれでなんだかなーですが(笑)。なんの考察もないスノッブなお話でした。

 今日の国分寺は晴れ。風が強いです。

 今日流れているのは昨日と同じくクリンぺライです。
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by yoshizo1961 | 2016-04-11 15:15 | 美術あれこれ | Comments(0)

あの頃のジュリアン・シュナーベル

  ジュリアン・シュナーベルはいまどんな絵を描いているのだろうか。

 ジュリアン・シュナーベルとは、80年代のアートの世界で旋風を巻き起こしたニュー・ペインティングの旗手的アーティスト。70年代から続く“描いてはいけない“的状況をぶち破り、好きなままに形象を持った「絵」を描いた人。

 絵を描くことに制約があるわけもなく何を描いたっていいのは当たり前だけど、70年代はそんなこともなく、絵画は死んだことになっていて(笑)、絵を描くこと自体否定されていたのである。もちろん絵画は絵画として存在し死んだわけじゃないけど、死んだふりをしていたわけだ。コンセプチャルなアートが世界を覆い、日本では“もの派”と呼ばれる美術家たちがいわゆる石とか鉄板とか木とか布とかの「もの」を転がして、ただ提示するという表現をしていた頃。

 70年代後半になるとその“もの派”の末裔ともいうべき作品ばかりになり、なんだかモノクロームな素材の組み合わせでこれでどうですか的な作品群に辟易した若い世代からみればジュリアン・シュナーベルの絵画はアートの救世主に見えたと思う。というか、すでに若い世代は同時代的にそういった形象を持ち、色彩豊かで豊饒な作品を作り始めていたわけだ。

 シュナーベルは大量の割れた皿を(たぶん)エポキシ樹脂かなんかでキャンバスを貼ったパネルに貼りつけ、その上に油絵具で形象を描いた。情熱的でワイルドでありながら、こんなことやっていいんだ?というイメージをそのまま表現して、新しい時代の象徴的アーティストとなった。

 シュナーベルを見出したメアリー・ブーンという女性のギャラリストにもスポットがあたり、シュナーベルに続いてイメージをダブルバインドさせて描くデヴィット・サーレなどを世に出した。なんか80年代は華々しくてみんなキラキラしていたんだと思う。

 今年は2016年で、もう36年もの時間が経過した今、シュナーベルの画集を開くと当時の熱気がよみがえってくる。最近どうなのかまったくわからないけど(えーと、いまは映画を作っているんだったっけ?)、シュナーベルの絵をまた見たいなー。

 今日の国分寺は曇りと雨。寒いです。

 今日流れているのは、ポリス。ベスト盤です。
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by yoshizo1961 | 2016-02-15 15:11 | 美術あれこれ | Comments(0)

懐かしのシュポール・シュルファス

 最近の買取本の中に“シュポール・シュルファス”の図版があった。

 “シュポール・シュルファス”とは、フランスの60年代のアートの傾向のひとつで、既存の絵画を捉え直すというか検証というか否定というか、いわば古い既成観念を脱ぎ捨てて新しい絵画の地平を見定めようとしたアートであったと思う。

 60年代後半から70年代にかけて、世界的な傾向だったと思うが、イタリアなら“アルテ・ポーヴェラ”、日本なら“もの派”というように、もちろん理念は違えども見た目は似ている(安易な言い方ですみません)アートのかたちがあった。

 “シュポール・シュルファス”は支持体・表面という意味合いで、木枠に張られたキャンバスが象徴する絵画の否定だと思うが、なんで矩形のキャンバスに絵を描かなきゃならんのだ?というところから発したアートなんじゃなかろうか(勝手に解釈)。買取した図版は1998年にポンピドゥで行われた“シュポール・シュルファス”の回顧の展覧会みたいだが、クロード・ヴィアラはもちろん、ピエール・ビラグリオやジャン・ミッシェル・ムーリス、クリスチャン・ジャッカールなどが載っている。

 80年代後半だったと思うが、“シュポール・シュルファス”の代表作家として名を馳せたクロード・ヴィアラの作品(あのいつもの形が反復された布)が、所沢の西武デパート1階のエスカレータ前の天井付近にダラーンとぶら下がる感じでディスプレイ(作品の展示というよりディスプレイ)されていたことを思い出す。所沢に行くたびにヴィアラを観に行こうとテクテク行ったもんだった。当時お金持ちでアートに精通していた西武がガシッと買っていたんでしょう。あの作品はどこにいったんだろうか。

 ヴィアラに影響されたと思われる同級生のKくんは、そんな感じのでっかいヴィアラもどきの作品を作り発表していたが、作品をそのままいただいて、うちの押し入れに仕舞われたまま。当時ゼミで教わっていた先生がフランスのアートに精通していたこともあり、“シュポール・シュルファス”についてはひときわ関心があったのは事実だったので、買取本の中に“シュポール・シュルファス”の図版を見つけたときは、ちょっとばかり興奮した。売っていただいたお客様は学生さんだったので、がんばって売りたいと思う。当時の(と言っても接したのは80年代だけど)思いを当時の自分と同じくらいの齢の学生さんが持ってきたというところに揺さぶられるものがあって、長々と書いてしまいました。作品がどんなもんかはどうぞみなさんググってください。

 今日の国分寺は曇り。今夜は「ほろ酔い夜話」の五夜目。楽しみです。

 今日流れているのは、ピンクフロイド。アニマルズです。
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by yoshizo1961 | 2016-02-12 14:01 | 美術あれこれ | Comments(0)

カサンドラ!カ、ガミ!ナ!ターシャ!

 上記表題の展覧会が小平で開かれている。

 ちびまどで、以前、個展をしてくれた村野正徳さんの個展。西武新宿線の小平駅南口から歩いて2分くらい。東村山方面の自転車道に出てすぐのところにある白矢アートスペースで17日(木)まで。時間は12:00~18:30.

 前回の個展で観たあの球もころがっていたよ。ギャラリー自体のスペースがかなり大きくてなんだかどこかの美術館のよう。あいかわらずの飄々とした表現が村野くんらしくていい感じだった。ちょっと前の作品とか最近作とかいろいろなパターンがあったけど、こてこての木彫作品からすっ飛んだ表現まで楽しませてくれる。

 ちびまどで発表したレシートペインティングのようなテクスチャーを持つ絵画(絵画か?)もよかったけど、その作品の下に並んで置かれていた小物の彫刻作品(釘がついてる!)がよかったなー。あれは欲しくなるなー・・・。
 
 うちの営業時間の関係で、ギャラリーオープン時間前に開けてもらって、ありがとう!いずれあの球とあの釘の作品は買い!いずれ・・・だけどね。来週の木曜日までだけど、観に行く価値あり!みなさん、小平へGO!

 今日の国分寺は雨。お昼にめぐるみcafeから出張本箱を回収してきました。関係者の皆さん、本を買ってくださったお客様、ありがとうございました!

 今日流れているのは、昨日と同じくライ・クーダーです。
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by yoshizo1961 | 2015-12-13 14:36 | 美術あれこれ | Comments(0)