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カテゴリ:SF・ミステリ( 58 )

独房ファンタジア

 ジャック・フィニイの『独房ファンタジア』を読む。

 この作品は、フィニイの短編集『ゲイルズバーグの春を愛す』の中の一編。ゲイルズバーグ・・・的な作品が大好きなので、似たような話を書いてみたこともある(今読むとへたくそすぎて笑える)。フィニイの作品がいい感じなのは、描写が素敵だから。映像が浮かんでくる文章で、行ったこともないゲイルズバーグの古びた街の中にいるような・・・。福島正実の訳もいいのだと思うが。

 『独房ファンタジア』の場合は、なにかとんでもないことが起こりそうなあの感じが好き。絵も絡んでいるのがいいところ。自分で描いているように、なんとなく追体験(頭の中で)してしまう。(オチというか)落としどころは想像したのと遠からずだったので、ま、そんな感じだわな、というか。筋を書いてしまうと面白くないので書けないんですが、アメリカのテレビドラマの「アメージング・ストーリー」に出てきそうなお話。

 うちのお店にある本は昭和62年発行の7刷で、中身はかなりヤケていて、時間を感じてしまうんだけれど、フィ二イの場合、そこが作風にぴったりでなまじっか新品の紙よりこのくらいヤケがきていた方がいい感じがする。

 フィ二イはSFとかファンタジーとかで括るより、素敵な言葉を紡げる愛すべき作家という感じかな。好きな人には絶大なる人気のジャック・フィニイ、おすすめです。

 今日の国分寺は晴れ。暖かめ・・・

 今日流れているのは、エラ・フィッツジェラルドです。
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by yoshizo1961 | 2017-01-26 14:01 | SF・ミステリ | Comments(0)

スマホと人間

 先日テレビを見ていてふと思ったんだけど、いま誰もが使っているスマホ(僕はガラケーです)が、もうすべての人が使うようになって、ていうかどんどん進化していったらどうなるのかなと。

 社会の仕組みや日常は、スマホがあればすべて事足りるようなことになってくると、もはやスマホだけがあればいい世界になって来て、人間そのものも要らなくなり、人の意識をスマホにダウンロードして肉体はもういりません状態の世界になったりして。

 となると地球上には人がいなくなり、見た目は人類滅亡だけど、スマホだけがその辺に山積み状態でそれでも情報は相互に共有されるのでなんだか活気づいた世の中になっていたりして。精神だけはずっと生きられるので不死となり、人のキャパもそのままなので滅亡するわけでもなく、子孫を残すこともなく、ま、みんなこのまんまで生きているという・・・。

 ひょっとして未来は肉体に縛られず、機械に組み込まれて生きながらえるかたちになるかも。それはやっぱ進化なのかな?新機種のスマホに乗り換えてずっと生きられる世界。何千年も何万年も生きて行くのは辛いかな。肉体が無いので痛みとかないんだけど、充電中のノイズが痛みとして感じられたりして、それはそれで人間臭いことを言ったりするのかな?

 ほぼトンデモな話だけれど、わかんないよね、遠い未来にはどうなってるかなんて。太陽が燃え尽きれば地球も巻き込まれてなくなっているときがいつか必ず訪れるわけで、そんなことありそうもないと思っても、いつかはそんな風になっているのだと思うと・・・。

 などと考えながら、今年こそスマホに変えようかなとそんなことも・・・。

 今日の国分寺は晴れ。朝、雨。今年から明日、火曜日が定休日となります。また水曜日に。

 今日流れているのは、キース・ジャレットです。
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by yoshizo1961 | 2017-01-09 14:40 | SF・ミステリ | Comments(0)

世界がいっぱい

 今日は他愛のない話。

 先日帰宅途中に電信柱の街灯と建物の街灯が横一列で重なる場所を通り過ぎたとき、ふと足元の影を見ると、自分の影が足元から放射状にふたつ伸びていた。

 光源がふたつなので影もふたつなのは当たり前かもしれないが、自分の影がふたつあるなと認識した時点で、世界もふたつあり、重なり合っているんだなと感じてしまったのだった。

 そりゃ世界は今ここにある世界がひとつだけあるはずだが、光がある数だけ世界も重なっているのかもしれないとも思えるのだった。

いま普通にあると思っている世界も実は全然違う仕組みであるのかもしれない。僕はひとりなんだけど、さっきの影みたいに無限に重なり合っていて無限の光が降り注げば、無限の僕の影が足元から伸びるのかもしれない。その影を持った僕自身も無限にいる?

 思考も同じように僕の頭の中で重なり合っていて、無限のひらめきと消滅を繰り返しているのかもしれない。なんにせよ、世界はきっと違うんだと思う。自分が普通に認識していることはもっとシンプルなかたちで存在しているはず。わかってしまえばなんでこんなに簡単だったんだろうと思うようなことなんだろうと思う。本当の仕組みを知りたい。

 自分の影を見てそんなことを考えました。

 今日の国分寺は晴れ。夜から寒くなる?

 今日流れているのはボサノバ系・・・
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by yoshizo1961 | 2016-12-06 13:35 | SF・ミステリ | Comments(0)

地球はどうなる!?

 宇宙空間に微生物がいるのかどうかの実験をやっていると何かで見たけれど、宇宙ステーションが飛んでいるあたりの高度って宇宙なのかなー?と。宇宙っていうならやっぱ、何光年も先、いやそこまで行かなくとも月の手前ぐらいでもいいか、そのくらいで宇宙かな。

 宇宙があるのは何でだろうか?そもそもなんで星とかあるわけ?ま、そこは置いといて、太陽みたいな星(恒星って言わないといけないのかな)があって、なんであんなに燃えてたりしてるのか。普通、燃えてないのに。
 
 夜空を見上げると天気が良ければ星が見えるけれど、あの光っている星は燃えているのか?近くの星は反射していて光って見えるのもあるんだろうけど。太陽は燃えている。だから昼間に太陽を見ると目が焼ける。あんなに遠くにあるのにこれだけ熱を持っているんだから相当熱いんだろうね。

 今日言いたかったのは、その太陽がいずれは燃え尽きてしまうということ。ていうかその後のことかな。太陽が燃え尽きるまで何百億年か実際何年か知らないけど、いずれは燃え尽きるわけで。無くなっちゃう。としたら人はどうなるのか。

 燃え尽きる前の太陽は異常に膨らむらしい。ほんとかどうか知らないけど。それで地球も膨張した太陽にのみ込まれて燃え尽きるという・・・。人はもちろん、地球上の生命はみんな消滅するわけで、そうしたらどうなるわけ?

 いままでの歴史はどうなるの?ぜんぶ消えてしまうし、何もないことと同じだよね。リセットというか、もうはじめっから何もないというわけで、地球で成し遂げてきた文明や記憶もすべて無しになるという・・・。

 だったら認識する生命自体が無いんだったら、宇宙自体も無いってことですか?こんなことは哲学者とか科学者が夜も寝ないで考えているんだろうけど、ほんと、どういうことなんでしょうか?

 NASAが木星の惑星エウロパについてなんらかの驚くべき発表をするらしい・・・ウチュウジンがいました!なんてのがいいけど。ま、ないか・・・。

 今日の国分寺は晴れ。

 今日流れているのは、キース・リチャードです。
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by yoshizo1961 | 2016-09-26 16:17 | SF・ミステリ | Comments(0)

火星に行こう

 『火星の人』、今頃読了(笑)。話題がずれててすみません。

 実は読んでなかったので、遅ればせながらというか、今頃になってやっと・・・。火星のロビンソン・クルーソーという触れ込みに触発されて読みはじめたけど、想像通りのできで楽しませていただきました。

 日本では『火星の人』だけど、原題は『THE MARTIAN』。マーシャン、つまり火星人。ちなみに日本での映画のタイトルは「オデッセイ」。放浪とか冒険とか?でも自分的にはやはり『火星ひとりぼっち』ですかね。

 作者のアンディ・ウィアーはアメリカの作家。こういったハードSFって相当の専門知識がないと書けないし、それでいてユーモア満載であっけらかんとしていて、なかなか書けないタイプのSF。これでもかこれでもかと災難に見舞われても解決する視点が科学そのもので、小説的これでもかではない必然的これでもかなので話としてはシンプルなのがいいところです。

 ま、自分だったらすぐ死んでるね(笑)。科学的対処がまるでできそうもないし、というか普通できないよね。それでも火星に行ってみたい!確実に安全で、流星号とかデロリアンみたいなものに乗って、ターッと行けないもんですかね?酸素とか水とか心配せずに。

 火星での日にちの単位はソルだというので今日は12ソル?ちょっと違うか(笑)。

 今日の国分寺は晴れ。

 今日流れているのは押尾コータローです。
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by yoshizo1961 | 2016-08-12 14:26 | SF・ミステリ | Comments(0)

今日はアーカイブス2

 今日はアーカイブスです。


「なんにもない 」 2014/11/16


 今日は唐突なお話。

 地球が、明日も地球として在るのを疑ったことが無くても、予測できない突然の災厄で、地球が明日消滅することがあるとしたら、その時、今まで生きてきてやってきたことや、この先こうして生きて行こうと考えていたことが突然終わる事を、どう捉えるだろうか?

 自分が消滅することはあっても、明日地球が消滅することはない。どう考えても。けれども思考実験のつもりで考えてみる。地球が消え去ればもちろんすべてなくなる。土も水も、人も。何にもない。今までの歴史も積み上げてきた知識もすべて。何もないということは、そしてそれを確認する対象すらないのならば、初めから何もなかったことと同じ。思考する主体がないのなら宇宙そのものがない。どこかで宇宙人が思考していたとして、ああ、地球とその思考は消えてしまったなぁと思っていたとしたら、それだけのこととして記憶されることはあるかもしれないが、宇宙人もいなかったらすべて無に帰することになる。

 無、ってなんだろうか。何にもないって?

 なんにもない、なんにもない、まったくなんにもない・・・という歌は在ったけど。在るという概念、いや、在るという実感があるから無は在る。在るから無い。無を後から実感できるのは、ぐっすり眠って起きた時。夢も見ず、寝返りを打っても覚えていないくらい熟睡したら、その時間には世界は消滅して、無が広がっていたわけだ。眠りについたときは真暗だったのに眼が覚めたときには朝日が射して明るくなっていた。その間の時間の波は飛び飛びに進んでいたのかそれとも停止していたのかまたは時間そのものが無くなってしまっていたのか。自分にとっては世界は消えた?無がそこに在った?

 地球が消滅して思考も消えて何にもなくなった無で、いや、ここにあったんですよ、地球という星が、思考が渦巻いていたんですよ、と言う存在が無い。ここにわたしはいました、家族も、友達も、みんなここにいたんですという私も無い。なんにもない。

 悲しいとかつらいというのでもない、無常が押し寄せる。諦念でもない、無常。知りたいという思いも解りたいという欲求も無常に包まれて見えなくなる。在るのか無いのかすらもわからない。何もないということだけを考えれば考えるほど無から遠ざかる。在る、それは無があるから。無、それは在るの裏返し。それとも在るも無いも思考の内なのか。思考が消えるとき世界は終わる。

 今夜眠るとき無について考えながら寝てみよう。夢で答えがわかるかも知れない。目をつむってから開くときまで、夢も見ず意識も飛んでいたらそれが正真正銘の答えなんだけど。


 今日の国分寺は曇り。お店の奥の方を整理中。明日は定休日なんですが、都合により臨時営業いたします(笑)。開けますよー。※ブログはお休みします。

 今日流れているのは、キース・ジャレットです。
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by yoshizo1961 | 2016-07-27 16:07 | SF・ミステリ | Comments(0)

Come back to me

 帰ってきて・・・。そう言われたら帰りますがな!ってそういう話じゃなくて・・・。

 昨日の晩、そろそろ閉めようかなという時間帯にいらっしゃったお客様とSFの話になり、ジャック・フィニィの話から頭が錯綜してジャック・フィニィのタイムトラベルものとごっちゃになってしまったあの作品、なんだったっけなー、えーと、ほれ、あの、えーと、もう最近いつもこうで、何て言いながらそうだ、リチャード・マシスン!リチャードマシスンの「いつかどこかで」・・・じゃなかった『ある日どこかで』!!

 てな会話をしていたわけですな。『ある日どこかで』は、リチャード・マシスンというアメリカの作家が書いたタイムトラベル恋愛小説。もう古典ですが、すごくいい話。1976年の世界幻想文学大賞の長編部門で大賞を受賞していて、創元から文庫本が出ていますな。

 その『ある日どこかで』がいいですよーという話をしていたわけですが、自分で推薦してたらついあらすじまで話してしまって、それもジャック・フィニィの作品と混ざってしまったのですごいストーリーになって(笑)、あのお客様はきっと探して読むんだろうなーと思うけど、全然話が違っていてすみません・・・ていう。

 ヒロインが主人公に向かって言う「帰ってきて・・・」というその言葉が胸に響く、SFなんだけど一級の恋愛小説なんでした。『ある日どこかで』、おすすめです。

 今日の国分寺は曇り。朝の雨はひどかった・・・

 今日流れているのはまたまたサキソフォンです・・・
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by yoshizo1961 | 2016-07-09 17:07 | SF・ミステリ | Comments(0)

星を継ぐもの

 ジェイムズ・P・ホーガンの『星を継ぐもの』の話。

 『星を継ぐもの』は超スタンダードなSFなんだけど、たまーにまた読みたくなるような話なのである。月面で発見された宇宙服を着た死体。もちろん人間?調べると5万年前の人みたいだよーというわけで大騒ぎに。

 もうこういう筋立てで来たら面白いにきまってますわな。最後まで一気に読めます。しかし、最近のYouTubeではこういった話の画像がやたらと多くて、それでもたまに見てしまうという(笑)。月面で発見された朽ちかけの宇宙船の中にいた女性らしき宇宙人の死体(かぐやという名前!)の映像とか、月面のクレーターの溝に突き刺さったようなペンシル型のUFOとか。

 なんでもかんでもUFOだ、遺跡だと、ぼけた映像をむりやりこじつけるのは、ま、かわいいといえばかわいい範囲で、でもホントに何かはありそうな気もするのはこういうSFを読んでいたからなのかもしれない。

 これだけ技術が発展しているのだから、地球から望遠鏡で覗いて地表までくっきり見えないもんかなーと思うけども、そういうわけにもいかないんでしょうかね?それにしても月に行ってみたいなー!月面を散歩してみたい。このクレーターの角を曲がると、おお!古代の月の遺跡が!とか、このクレーターの向こうに何万年も前のUFOの残骸が!とか。人間ってどこからきたのかって思っちゃうようなSF本の、『星を継ぐもの』。おすすめです。

 今日の国分寺は晴れなのか曇りなのか・・・。

 今日流れているのはきゃりーぱみゅぱみゅとか・・・です。
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by yoshizo1961 | 2016-06-06 14:09 | SF・ミステリ | Comments(0)

ドッペルゲンガーに気をつけろ!

 先日、まどそら堂虎の穴メンバーの大導寺シンが来店し、何気に本などを見ているので、声をかけようとしたがお客様の対応中でそうもいかず、そうこうするうちに何も言わず帰ってしまったのだった。

 対応していたお客様というのは、関西のミュージシャンで関東での活動の宣伝で来ていたのだったが、私たちの漏れ聞こえる会話から音楽関係とわかれば絡んでくるのは必至の大導寺シンなのに、何のリアクションもないままだったので調子でも悪いのかとは思ったけれども、さっさと帰ってしまったので、ま、そういうこともあるかなということであった。

 その日の午後、再び大導寺シンが現われたんだけれども、先ほどと服が違っていた。そこでさっきの大導寺シンは大導寺ではなく似ている誰かだったということに気がついたわけだけれども、そうか、世の中にはほんと似ている人間がいるものだと。

 本人にそう言うと、妙に興味を示し、そんなに似ているのなら一度会ってみたいもんだと言う。そう言ってからいややっぱり会ったらまずいかと。ドッペルゲンガーに出会ってしまうと両方とも消えてしまうんじゃなかったっけ?と(笑)。

 量子の対消滅みたい(笑)。出会ったら消えちゃうのか!それは大変だ。自分と対の自分、または反自分というか。自分がもう一人いてしかも同じ大学だったりしたら。笑いながらも出会ってしまいたい欲求と、消えてしまうという恐怖をまじめに信じたつもりになってその恐怖を愉しむというどこかねじ曲がった性格が大道寺らしいが、出会わないように気をつけますと言って帰って行ったその後ろ姿が先ほどのドッペルゲンガーにそっくりだった。大導寺くん、ドッペルゲンガーに気をつけろ!(笑)

 今日の国分寺は晴れ。まだ少し寒いね。

 今日流れているのは、エリック・サティ。『三つのジムノペティ』です。
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by yoshizo1961 | 2016-04-12 13:36 | SF・ミステリ | Comments(0)

どちらが主体なのか

 先日テレビをつけると、ある番組で「顔ダニ」についてリポートしていたので、ついつい見てしまう。

 どうやら顔には顔ダニという生き物が、それはもう信じられないくらいの数がうにょうにょしているという。いわゆる常在菌という彼らとも違い、それはまさしく生き物で、姿かたちはモスラの幼虫を引っ張って細長くしたような感じなのであった。

 体長は0.02ミリくらいだったけかな?ま、顕微鏡で覗いて見えるくらい。だから顔に目ん玉引っ付けてみても見えないと思うよ。それでも生きもんなんでうにょうにょしてるわけですよ。

 その顔ダニも適正な量というか適正な人数であれば、皮膚の老廃物などを食べてくれるし、いてくれた方がいいみたいなんだけれども、たくさんになり過ぎると皮膚のトラブルを引き起こすらしい。ニキビというか吹き出物とか赤い発疹とか。ま、体調とかで状態も変化するからね。

 そこで気になったのは顔ダニそのものじゃなくて、そういった生き物や常在菌とかウィルスとか顔や体のあちこちにいるわけだよね。生き物か無生物かどっちつかずの何かでなくて、あきらかに生きている、うにょうにょしている彼らは体の表面にうじゃうじゃいるならば、数の論理としては彼らが主体と考えてもいいんじゃないかということ。一個の生命体として見た場合、自分自身が生命の本体であるのか、それとも、うにょうにょ達の宿り木にすぎないのかどっちなんだろうか。

 たとえばだけれども、宇宙人と遭遇したとして、話かけてきた宇宙人さんからしてみれば話しかけようとした相手が僕なのかそれとも顔ダニなのかわからないよね?宇宙人さんははじめて地球に来てそれも予備知識もなくたまたま来てしまっていて、生命に対しての認識はあるけれども、それは個体の大きさは関係なしという、いわば何の憶測もない自然な人だったとしたら、とりあえずは目の前の僕にハローと言ってるみたいに見えても、実は鼻のアタマにいた顔ダニのニョロくんに言ったのかも。

 ま、どっちでもいいんですけどね・・・。宇宙人に遭遇することもそうそうないでしょうから。けれども主体だと疑うことがなかった僕という自分自身は、添えものにすぎなかったのかもしれない、とも思えるわけでどうでしょうかね、その辺は。
 
 今日の国分寺は晴れ。少し曇り。

 今日流れているのはエリック・サティです。
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by yoshizo1961 | 2016-04-09 14:35 | SF・ミステリ | Comments(0)