ジョン・ケージでもなくデュシャンでもない

 今日は寒いけど、天気が抜群に良いから気分も高揚(紅葉にかけてます)!

 一昨日は久しぶりの「虎の穴」。出場メンバーはいつもの大導寺シンと小林少年、それと私。Nさん、最近ご無沙汰で淋しいわー(Nさん視点も必要なので参加してくれなきゃ)。今回はニコ生で生中継してみようということで大導寺シンがなんとか設定してくれて生放送してみたわけだが、ぶっつけ本番、表情カチコチ、いつもと全然違う余所行きな展開で話も進まず、業を煮やして中断しようとしたら、すでに途中でフリーズしてた・・・という顛末。

 それでも観ていた人が何人かいたという奇跡!中断した後からいつもの通り話も白熱して「虎の穴」らしくなったが、次回の中継ではあらかじめ始めておいて、あたたまってきたあたりからいきなり生中継というのがいいかも。それにしても肝っ玉の小ささがあらわれる生中継のカメラ目線・・・という自虐的感想もありますが、どんなもんなのか観てみたいひとはコチラ→まどそら堂「虎の穴」さわり部分

 本題の「虎の穴」。一昨日は東経大「葵祭」における展示・これがアートだ!の話から始まった。前回、暫定的に決めておいた「それぞれの天地創造」というテーマはひとまず置き、実際展示を行ってみてどうだったか、どう展開するべきだったか、今後どう展開していくのか、というところ。すでに学内でも討議されている話なのだろうが、また違う視点で考察してみる。実際の展示の話から、作ったり見せたりするところの本質的な話に進展してゆく。

 話は飛びに飛び、全体の流れが整理できなくてうまく伝えられないが、ある地点の話ではこんなことを。製作における表現の動機などは、個人的なところから発せられたり歴史を否定または覆すアンチテーゼとしての表現だったりするけど、ジョン・ケージの「4分33秒」が既成の音楽の概念をぶち壊し、マルセル・デュシャンの「泉」もまた美術の概念をぶち壊してくれたわけだが、そのアンチテーゼとしての作品の意義は大きなものでアートを進化させたかもしれないが、その作品自体はどうなのだろうか?と。高尚な作品…というイメージだと思う者もいれば、その高尚という思いこそがヒエラルキーをつくりだしているのではという者もいて、結局本当のところはジョン・ケージでもなく、デュシャンでもなくアートとしてシンパシーを感ずる対象は、へたくそなギターしか弾けないパンクロッカーだったりする、というところに着地するのであった。

 シド・ヴィシャスの「マイウェイ」が頭の中で反響する中、夜が更けても終わらない虎の穴であったが、次回は今の話を引き継ぎつつ、アートに批評は可能か?というテーマで討議することに。今度はうまく生放送できたらいいな。生で観たい人はニコ動のアカウントをあらかじめとっておいてもらえればと(次回は来年になると思いますが)。

 今日の国分寺は晴れ。ほんといい天気ですな。

 今日流れているのは、一日中セックス・ピストルズ。「ネヴァーマインド」を大音量で。
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by yoshizo1961 | 2014-12-05 15:47 | 虎の穴あれこれ | Comments(0)
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