川端康成、ありがとう

  川端康成の「有難う」を読む。掌の小説と言われる小品集のなかの1編。

 わずか数枚のまさに掌の小説。大正14年に「文藝春秋」に発表された作品だから、川端康成が20代半ば過ぎに書いたもの。20代半ばでこれか(よく書いたもんだ、という意味)。書けないですな、ふつう。

 何だか詩のような構造をもつ小説。例えば、作品の冒頭での表現。
 山道に揺られながら娘は直ぐ前の運転手の正しい肩に目の光を折り取られてゐる。黄色い服が目の中で世界のやうに拡がつて行く。山々の姿がその肩の両方へ分かれて行く。・・・という文章。そして後半にまた、運転手が運転台の座布団を正しく直す。娘は直ぐ前の温かい肩に目の光を折り取られてゐる。秋の朝風がその肩の両方へ流れて吹く。・・・と、冒頭の文章に呼応する表現を置く。同じではないが、同じ情景をリフレインする。同じではないが、小説の中で韻を感ずる構造を作る。

 歌のようでもある。さび部分を繰り返すような構造というか、文章に音にならないリズムがあるのだ。だから読後の印象が一篇の詩のように感ずる。川端康成と言えば「雪国」とか「伊豆の踊子」など、「自然」をまとった小説という印象があるが、この「有難う」も伊豆の季節感、空気、その時代の時間をそのまま切り取ったような瑞々しい表現がそこここに。言葉がその時代を感じさせるのか、とにかくポーンと大正の時間に飛べる。

 小説のテーマが現代では理解しにくいが、当時の現実を小説に昇華して、それでいて美しく感じられる表現になっているのがすごい。そのテーマ自体は悲しいし、突飛な展開である気もするが、現代のエンタメ小説に慣れた頭でこれを読めば、小説とはこれほどに美しい構造を持てるのかと感心する。

 川端康成の伊豆ものの中でも秀逸な作品ですな。自分の場合、川端康成を読むこともいまや早々無いので逆に新鮮だった。そういうわけで、エラそうな感想文書いてみました。

 今日の国分寺は曇り。時々小雨が。明日は定休日なのでお休みします。また、金曜日に。ではでは。

 今日流れているのは、ライ・クーダー。落ち着きすぎですかな。
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by yoshizo1961 | 2014-09-10 14:42 | 本あれこれ | Comments(0)
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