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こんな夢をみた

 一昨日、見た夢。

 大海原の上を飛んでいる。羽根があるわけでもないのに、グライダーみたいに緩やかに空を飛んでいる。はるか遠くに海面がある。飛行機くらいの高度をひとりで飛んでいる。

 見えるはずもないのに、海面がクリアに見える。この高さなのに、マクロで眺めているようにディティールまではっきり見える。ああ、おれは死んだのだ、と自覚する。死ぬと、何もかもがこんなにクリアに見えるのだと驚愕する。

 空気の粒子さえ見える気がする。はるか眼下の海に落ちれば、柔らかな海にのみ込まれてまた死ぬかもしれない。けれどもこの高さから落下すれば、海の表面は相当固くて、落ちるというよりぶつかるという感じなんだろうなあと、夢の中で冷静に考える。

 地球に海があって、その上に大気がある。空を飛んでいるおれはその空気をかき分けて浮かんでいるわけだ。海は空気よりも密で、触れるけれど実体感が無い。相転移して氷に変われば塊としての実体感が生まれるが、水のままだとすくってもこぼれてしまう。

 考えてみればこの海の水も、空気も以前はおれの体に取り込まれて、栄養分を搾り取り生きていたわけだ。体に必要なミネラルやビタミン、たんぱく質などの栄養は、すなわち地球のどこかで生まれた、またはもともとあったものであって、そう考えれば地球の一部を体に取り込んで、排せつするという行為と、顔の周りにある空気を吸い込んで吐き出すという行為が生きるということだったのか、と海面を見下ろしながら思う。

 結局、地球の一部分だったおれは、こうして死んで意識だけになっている。体も感じられるんだけど(夢なんで)、水みたいに実体感がない。もっと遠くからおれを見れば、おれと言う実体は地球と重なって存在しているのかいないのかわからないだろうなと思う。スペースシャトルから見る地球の表面みたいに大地と海と雲は見えるが、おれどころか世界中の生命はおろか建物だってあるのかないのか、まったく見えない。

 意識がにぶってちからを入れ直したら海は自分が生まれた故郷の海に変わっていた。海べりを走る高速道路と海と湖をまたぐ大橋を空から眺めている。いつのまにかその風景は子どもの頃よくトンボをとった爆弾池に変わる。

 あさ、目覚めたらかなりはっきり覚えていて、久し振りのリアルな夢だった。夢の中であれこれ考えて疲れた。クリアに物事を視られれば、これに越したことはないが、まだ死にたくないですな。

 今日の国分寺は曇り。いつ雨が降るのか・・・。昨日お知らせしましたが、今日の営業は5時迄です。明日は通常営業です。「ほろ酔い夜話」ー酒と朗読の宵ーのお知らせをフェイスブックのイベントコーナーで立ち上げましたのでそちらもご覧ください。

 今日流れているのは押尾コータロー。戦メリが入っているアルバムです。
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by yoshizo1961 | 2014-08-23 15:01 | 虎の穴あれこれ | Comments(0)
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