なんだかよくわからない

 肩の痛みは、揉み解せば多少軽くなるということを知らなかった。同じように思考も揉み解せば、凝り固まった観念から多少は解き放たれるものだろうか。

 丹念に肩を揉んでもらったら、張り付いたまま動かなかった筋が多少ゆるくなった。丹念に思考すれば、脳の裏側にへばりついたままの観念の癒着がゆるくなるものだろうか。

 思う通りに動かない両肩を、ストレッチを続けることで、今までのように動かせることができるようになればいいが、こまめに思考を重ねれば、ランダムに浮かぶ思考を順序立てて組み上げていく能力が甦ってくるだろうか。

 電車の中で、窓外の風景を見るともなしに目で追いながら、そんなことを考える。いま読んでいる本の続きを読むか、思考を続けるか、目を閉じて眠ってしまうか。思考しながら今日のスケジュールと、いま抱えている問題を同時に思い描く。あれをしてこれをして、あれはどうしたらいいのか、これはどうなるのか、いや、どうなってしまうのかなどと思い描くのと同時に、肩のストレッチと、何で人はいるんだろうか(生きてるんだろうか)などという青臭いことを考える。

 一駅過ぎた。本の続きを読むのは諦めた。人は死ぬけど、死んだら三途の川を渡って、あの世へ行くのだろうか。骨皮筋さんの詩の一節に・・・三途の河原でバーベキュー・・・という言葉があったが、三途の川原のそばに薪とか炭とか、はたまた着火剤とか売ってる店があったら笑える・・・とか考える。それにしても、この世は生きている人しかいないんだ、と気付く。死んでしまった人はこの世にはいないじゃないか。地球上には生きている人しかいない!(人間限定での話ですが)

 二駅過ぎた。お店開けたら、まず連絡の電話を入れなければ。その前に忘れないようにメモ。Suicaをチャージ、ああ、あれ忘れた。少し眠気が襲う。目を閉じる。いやいや、眠ってはだめだ。意識が無いときには世界はあるのかな?まだ生きてる・・・。そうか、生きてる人しかいないんだな、地球には。誰も死んでいないとも考えられる?死んでしまったらもういないじゃないか。

 気が付いたらウトウトしてた。三つめの駅も過ぎて国分寺。とぼとぼ歩く。ぼーっとしている。思考停止。交差点を曲がってalvaを覗く。ミシンに向かっているご主人の背中が見える。そのまま道路を渡りお店のまえで鍵を取り出す。もたもたしているとバスが来て停車してしまう。乗らないよサインを出す。

 今日は日曜日。肩のストレッチをしながら、あれやこれや考えよう。雨降りませんように。何だかよくわからない、そんな日もありますな。

 今日の国分寺は曇り。風が強いですな。

 今日流れているのはブライアン・イーノ。静かでいいのー。
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by yoshizo1961 | 2014-07-13 15:52 | 虎の穴あれこれ | Comments(0)
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