続・哀しみのランナーと無常のブースター

  昨日から続き。「虎の穴」報告。

 大導寺が見てきたという、ジャン・フォートリエ展の話からなんとなく始まった。大雑把にいえば、アンフォルメルの絵の具盛り上がり感から、その時代における絵画の捉え方といま現在との齟齬について、など。その後、本題に。今回のテーマは「ランナー、またはブースター」であるが、多少説明を。
 
 少年が手掛ける彫刻的プラモ制作で、捨てられることもなく大量に保存されていたランナー(プラモデルのパーツをとめている枠。パーツをとったら用済みとなる)をどう料理するかといった話から派生して、必要であっても用が済めば捨てられてしまうもの、それがなければ成り立たないのに簡単に捨てられていく、例えばロケットの燃料ブースターのようなものを広義に捉えて考察してみようというのが、今回のテーマ。

 大量に残っているランナーを使って何か造れないかという問いに、ドーナツの穴みたいなものはどうかとか、切り抜かれた人型はどうかなどという話から始まって、右往左往しながら話は進む。そして、ランナーやブースターのようなものを突き詰めて考えて行くと、結局DNAまで行きついてしまった。魂が主ならば、身体はランナーにすぎない。子が主なら親はランナーにすぎない。そうして続いていく。進化のなかで捉えれば、優性が生き残り、劣性は淘汰される。自分が淘汰されるものならば、それはランナーであり、ブースターであると言えるだろう。生き残ることが目的ならば、我々は甘んじてランナーにならなければならない。というより生きとし生けるものすべてはランナーなのではないか?もし生き残れるならば、それは終わりを意味する。完結するからだ。パーツは組み上げられて、ひとつのかたちを持ち完結する。プラモデルは完成するのだ。

 終わるために捨てられていく。終わりがいつ来るのかも知らないし、終わるのかもわからないが。完結する未来のために捨てられていく哀しいランナー。いやいや、そういう解釈もありだが、ランナーというのは、金型でパーツと共に造られた回路、または血管なのではないだろうかという考察も。確かに回路のようであり、パーツに命を注ぐ血管でもある気がしてくる。が、しかしさらにそのための金型自体は、まさにブースターではないか。

 しかし、お面つけてると息苦しい。わりといい話をしてるなーという時もどこかリアル感に欠けるし。というより、変すぎる!というわけでお面タイム終了。お面をはずしても、話は続く。

話は逸れていくが(または本質に近づくのか)、必要ないものと必要なものとはそもそも何だという展開から、例えば無人島で一人だとして、まずは食べるものが一番必要だが、小動物を捕まえようとして、草を縛って作った罠だとか、掘った穴だとかそういった創造を伴う文化的行為はひとにとって必要なものなんじゃないのか、という話に。食欲と等価なものなのか,二次的なものなのか。創造という文化的なものは、食欲と同じくらい必要なものなのか(いや、そうであってほしい)。また、もう必要でないもの、いらないもの、無駄なもの、そんなものこそ美しいのは何故なのか、とか。リンゴ・スターはブースターか?白絵の具は?はたまたブッダやらニルヴァーナやらそんな話に脱線しながら、無常のブースターたちの夜は更けてゆく。

 今回の「虎の穴」は、話が込み入りすぎて(シンプルともいえるが)、暑さでやられた店主のあたまではうまくまとめられなかった。時間をおくとすっきり見えてくることもあるので、それまで寝かせておこう。参加者からの投稿があれば、それも併せて提示したいとも思う。

 次回の「虎の穴」のテーマは「本」。あらゆる視点でもって本を捉えよう、という企画です。日時は現時点では未定ですが、メンバーのスケジュール等すり合わせの後に発表いたします。どうぞ、どしどしご参加ください。

 今日の国分寺は晴れ。土曜日ですな。

 今日流れているのはクラフトワーク。「TRANS EUROPE EXPRESS」です。
b0304265_15275583.jpg

 
[PR]
by yoshizo1961 | 2014-07-12 15:27 | 虎の穴あれこれ | Comments(0)
<< なんだかよくわからない 哀しみのランナーと無常のブースター >>