理解できないこともある

 昨日「虎の穴」について書いたが、「虎の穴」のスキルをもってしても理解不能なことが世の中にはたくさん存在する。今日はそんな話。

 身近なところではタバコのポイ捨て。お店の前はバス停だから、いまどき不謹慎なポイ捨てをやらかす人間も少なからずいらっしゃる。タバコを喫うなと言う気はさらさら無い。喫うのも喫わないのも当人の自由だ。バス待ちのあいだ、どうしても喫ってしまうのは解らないでもない。何故なら自分もはるか以前には喫煙者だったから。だからポイ捨ても平気でやっていた。当時はポケット灰皿なんてなかったし、タバコは道に捨てるものだと思っていた。これこそ若気の至り、いや、分別のない人間そのものだが、お店に来るとまず玄関まえの掃除をするときにタバコの吸い殻を拾う。自分がポイ捨てした本数を、いま拾わされているのだと思えば腹も立たない。が、お店の脇に置いてある鉢植え(松葉ボタン系の花が咲いている)に、喫い差しが投げ込まれていた時にはさすがにはらわたが煮えくり返る思いがした。ふつう、咲いている花の上にタバコの吸い差しを捨てるか?バスが来て、慌てて消さずに捨てたのだろう。けれどもあまりにたちが悪い。

 最近の社会の中でも理解不能なことは、あの都議会の低俗なヤジだ。議会や論議の場でヤジまがいの言葉が出るのは必然の理ではある。けれどもそのヤジの、たちの悪さで論議も台無しになってしまう。そもそも人が人を傷つけるような行為は、ぶっ叩くとか刃物で切り付けるとかそんなことをすればすぐに逮捕されるのに、言葉の暴力ではなぜうやむやのままなのだ?というより、世の中には差別したり、見下したり、いじめたりする人間が必ずいるのは何故なのだ?人間の奥深いところにあるDNAなのだろうか?業?

 そりゃあ、さっきのポイ捨てみたいに無自覚に分別の無い生き方をしてきた自分が言える立場じゃないかもしれない。知らずに平気な顔で人を傷つけていたこともあるだろう。けれども、火がついたままのタバコを、咲いている花の上に捨てることができる人間と、人の根源を平気で揶揄することができる人間は、どちらも同じレベルの低さであっても、それが同じ土の上で生活する、同じ人間なのだということが悲しい。

 世の中には、納得も、理解できないこともある。「虎の穴」でもお手上げですな。

 今日の国分寺は晴れ。今のところ。

 今日流れているのはサイモン&ガーファンクル。「明日にかける橋」が、大音量でかかっています。
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by yoshizo1961 | 2014-06-30 14:55 | 虎の穴あれこれ
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