「絶望と青空」骨皮 筋

 骨皮 筋。ほねかわすじ、と読む。60年代前半生まれ。(自称)詩人。

 「絶望と青空」。そうきたか、と。今回、作品を出してほしいとお願いしたとき、以前見せていただいていた作品の中からこちらでチョイスさせていただきたいという旨を伝えていたのだが、あにはからんや、新作であった。

 以前の作品も今回の作品も、自己表現の極地、しかもストレートなネガティヴ志向に貫かれている。青空に象徴される明るさは、ネガティヴを表すための対比に過ぎない。今回どんなことでも、どう書いてもいいとお許しを貰っているので、あえて言ってしまおう。詩が、古臭くないか?

 いやいや、けなしているつもりでも、ケンカを売っているわけでもなく、ほんと、詠んだときの感想だ。正直言うと、「絶望と青空」は好きなタイプなのだ。自分で書こうとすれば、真似したくなるくらい。「ああ、青い空が落ちてくる」の、「ああ、」に共鳴してしまう自分の感受性も、古臭いのではあるが。けれども、どこかで感じた心象風景とでも言おうか、デジャヴを感ずる言葉が新鮮味をさらってゆく。古くたっていいのだけれど、そこから突き抜ける言葉に出会いたい。じゃあ、新しい言葉って何だと言われれば答えられないけれども。

 ただがむしゃらに振り回すこの腕の
 生への執着
 この世にとどまるそのわけを
 空に向かって叫んだら
 大粒の雨が降ってきた

 今日も同じ色の雨が降るのに
 雨に濡れたぼろ靴のかたちが思い出せないこのていたらく
 きっとこの雨の向こうには
 とてもしあわせだよ何もいうことないくらいこの青い空

 同世代だからなのか、自分も正統派ネガティヴのためか、骨皮 筋の詩にはシンパシーを感ずる。だからこそたとえば大導寺シンのような、ラディカルなネガティヴさをどう思うのか聞いてみたい。それは年齢の差ではないはず。ずっと詩を書いてきた。あなたはそう言った。だからこれからも読ませてほしい。ずっとね。

 ちなみに骨皮 筋というペンネームは店主がつけた。表に出たくないという、(店主からすれば)意味のわからない理由のため。実は、店主が自分のためにあたためていたペンネームだったが、その場で考えたもう一つとどちらがいいかと聞いたところ、嫌そうな顔でこちらを選んだ。「絶望と青空」は作家本人の意向により、メールで送られてきたものをプリントして、店主がレイアウトした。署名は作家本人のものだが、行のがたがた、ゆがみ、一部分に彩色したのは店主の仕業なので記しておきます。

 今日の国分寺は曇り。明日は雨かな?はー、がんばらねばっ!

 今日流れているのは押尾コータロー。夕方からプログレに変わります。
b0304265_16363897.jpg


 

 
[PR]
by yoshizo1961 | 2014-05-20 16:37 | 展覧会情報 | Comments(0)
<< 「花鳥風月」小谷ふみ 「みなさん、さようなら」成瀬みやか >>