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ストリックランドの小屋

 ストリックランドとは、サマセット・モームの「月と六ペンス」に出てくる画家の名前である。

 月と六ペンス、という魅力的なタイトルとは相反して、結構重い話である。読んだ方なら頷かれると思うが、芸術にとり付かれた男の狂気にうなされそうになる。
 絵を描くことこそが生きている理由であり、生活という日常には重きを置かない。というより、世俗を断ち切り、絵を描くことのみに専念する日常こそが、彼の存在理由となる。現代に於いても、程度の差はあっても、こういった作家は少なからずいる。世俗の何ものにも拘泥されることなく、ストイックに描き続けられればそれにこしたことはないが・・・。

 タイトルの「月」は、人間を狂気に導くものの象徴として、そして「六ペンス」は世俗そのものを表すそうである。世俗とは、人間のつながりそのものであるから、そこをかなぐり捨てても「描きたい」ストリックランドの狂気は、読む者に畏怖を覚えさせる。そんなに絵が描きたいのかい?とつぶやく読者も多かろう。

 ストリックランドのモデルはゴーギャンである。話しの大筋もゴーギャンの生涯をなぞっている。タヒチの原色の光で描かれた絵画は、いまなお人気が高い。

 ストリックランドが住む島の家の壁には、埋め尽くすように絵が描かれていた。ストリックランドが病死した後、その絵を見た者は、心の震えを抑えきれなかっただろう。その絵のモデルは、ゴーギャンの代表作の「我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか」だといわれている。読後に、「すべて」が描かれているその絵を隅から隅まで眺めてみても、ため息しか出なかった。

 読んだ当時、ストリックランドの家を小屋に見立てて作品を作った(画像の小屋)。入り口も出口も無い。閉じられた空間の内側の壁一面にさきほど触れたゴーギャンの絵のコピーが貼ってある。例えば奈良美智がよく作る小屋作品のようなほっこり感も無く、小林孝亘が描く小屋のような静寂感も無い。が、一時流行った小屋写真集のような凡庸さとも違う小屋を作りたかった。ストリックランドの小屋は、絵画に対峙する孤高の画家に向けてのオマージュだ。
「月と六ペンス」、お薦めです。

 今日の国分寺は晴れ。今日は少し寒さはゆるい?

 
 本日のBGMはビートルズ。日の目を見なかったテイクを集めたアレです。
ストリックランドの小屋_b0304265_1643265.jpg

 
by yoshizo1961 | 2014-01-20 16:43 | 本あれこれ | Comments(0)
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