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国分寺の夕陽

 先日の木曜日、所沢の古本市に行った。会場に上がるシースルーのエレベーターから、西の空に今にも沈み行く夕陽が見えた。街並みとの比較でそう見えるのか、濃いバーミリオンの太陽がやたらと大きく見えた。

 まどそら堂の夕刻。西日が当たるから、夕暮れ時になるとお店の外が赤くなってきて店内もうっすら赤みを帯びる。夜用の電球に明かりを灯しながら、西の空を見上げる。残念ながら太陽が沈み込むところは見えないが、お店の裏、はけの上の方に上がればきっと見えるはず。

 話は飛ぶが(随分まえのことだが)、お店のお客様でお互いの共通の知人があることがわかって、懐かしく思い出すことがあった。お客様には親しい友人であるが、私は一度はなしをしたことがあるだけの方である。一度だけだが印象は深い。学生時代、国分寺の道端のどこかで話をしただけだが、その方は同じ予備校だったので顔は見知っていた。が、それまで話しをしたことはなかった。その方は見るからにカッコよく、今で言えば、竜馬を演じていた時のワイルドな福山という感じであった。目立つし、個性的でもあったから、道端で偶然会ったとき思わず声をかけたんだと思う。同じ国分寺に住んでいたのは知らなかったが、なぜ印象深かったかというと、国分寺の夕陽の話が抜群にカッコよかったのである。

 その方は、国分寺にはとても素敵な場所があると言った。その場所から見える夕陽が最高なんだと。そして何かあると一人でその場所で夕陽を見るのだと。ただそれだけだが、目茶苦茶カッコよかったのである。その言い方とか、雰囲気とか。影響されて、同じようなことを自分の言葉の様に言ってみたりした。そしてその場所が、はけの上のどこかだと言っていたので、その当時その場所を探して回った。けれども見つけられなかった。

 今思えばその場所はお店の裏のはけの上辺りではないかと思う。何故ならその辺りだけはチェックしてなかったから。裏にあがる道を行けばきっと夕陽が見えるはずだ。ちょうど今が黄昏時だ。でもお店があるから行けない。

 テレビを見ていて、ちょっとしたことで泣いてしまうこの頃だが、夕陽のなかにどっぷり浸かって、なんともいえないやるせなさで泣きそうになった頃の気持ちのまま、夕陽を見たい。まどそら堂から見える夕陽は、建物に吸い込まれて消えてしまう。誰かはけの上に上がって見て来てはくれないだろうか。やわな気持ちになっている時ほど、夕陽が見たくなるのは何故だろう。ちなみにお客様によれば、その方はいまでもロマンティストで、相変わらずカッコいいらしい。うらやましいね。

きょうの国分寺は晴れ。寒いねぇ。ドア閉めてないからか。

本日のBGMはクロノス・カルテット。落ち着いてます。

国分寺の夕陽_b0304265_17344556.jpg


 
by yoshizo1961 | 2013-12-07 17:35 | 国分寺あれこれ | Comments(0)
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