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人情のサルマタケ

 「男おいどん」の話を。
 
 松本零士作。ボロボロの下宿屋の四畳半に住む大山昇太(おおやまのぼった)の青春泣き笑い人生の物語。1971年から73年にかけて少年マガジンで連載された。当時リアルタイムで読んでいたが、子どもにはしょぼい話に感じて、いまいちだった記憶がある。ところが、自分が大山昇太と同じくらいの歳になった頃再読し、似たような生活を送っていた自分と重なって、ひどく胸に染みた記憶もある。この歳になってまた読んでみると、懐かしさと若い頃のヒリヒリとした生活の記憶が混ざり合い、なんともやるせないようなそれでいて清々しい読後感であった。

 自分も上京した頃は四畳半一間の風呂なしトイレ共同であったが、大山昇太の四畳半にいつもある大量のサルマタ(若い方は知らないかもしれないので念のため・・・トランクスタイプの柄パンのこと)も持って無かったし、そこに、もさもさ生えているサルマタケ(きのこ)も生やしたことは無かった。けれども概ね部屋の中は似たようなもので、寒々しい空気が流れていた気がする。

 大山昇太の周りにはいつも陰ながら支えてくれる人が登場する。たとえば近所のラーメン屋「紅楽園」のオヤジは金の無い昇太にほんの少し仕事をさせラーメンライスを食べさせてくれる。自分にも似たような経験がある。お風呂屋さんに行く前にちょうどそのお風呂屋さんの目の前にあった蕎麦屋で晩飯を食べる。自分以外に客がいない時に限っての事だが、定食などを食べているとオヤジが出てきて、うどん食うかと訊くのである。(今もそうだが)貧相に見えたのだろう、素うどんを付けてくれたり生卵ややっこを付けてくれたりもした。

 グータラなので、お風呂屋さんに行くのも閉まる時間ぎりぎりという事が多かったが、一番最後まで残っているのは自分とその蕎麦屋のオヤジというパターンが多かった。オヤジは家に風呂くらいあるのだろうが、店を閉めてから入りに来るのでこの時間になってしまうらしかった。閉店から15分くらいすると風呂屋のオヤジが現れて、たわしのついたモップの様なもので洗い場の床をこすり始める。あわてて出ようとすると蕎麦屋のオヤジが私に目配せするのである。
 
 フルチンのままいっしょにケロリンの桶を山状に積み上げ、散らばった腰掛いすを集める。そのあいだ風呂屋のオヤジも蕎麦屋のオヤジも何も言わず会話も無いのである。かた付け終え、二人のオヤジを無言のまま覗うと、何となく頷くので体を拭いて出るのである。

 人情などというものがあるなら、この「男おいどん」の世界にはそれがある。毎回毎回打ちひしがれて悲哀のかなたで暮らす大山昇太が、いつか大成する日を夢見て眠るシーンを、自分に重ねて泣きながら読んだ人もいただろう。自分の中で、燃えるものが薄れ始めていると感じているおじさんに是非お薦めします。

 今日の国分寺は透きとおる青空。お出かけ日和でしたね。

 本日のBGMもブライアン・イーノ。はまってしまいました。
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by yoshizo1961 | 2013-10-27 16:40 | マンガあれこれ | Comments(0)
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